Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部で教えています。国際関係学、安全保障、東アジアの政治学を担当しています。

ワシントン→パリ→ブリュッセル

4日ぶりにワシントンに帰還。ここ数日睡眠時間が4時間ほどしか取れなくかなり体に悪いことをしている。出張前に疲労が溜まる。今は研究所に戻ってコーヒーを飲みながら原稿を書いている。あと24時間の辛抱。それが終わったらヨーロッパで一週間の(バケーション)研究生活!

今回はパリとブリュッセルに行く。ブリュッセルには私が今年所属している研究所の支部があり、そこで昔世話になっていたテロ問題の専門家のマークと4年ぶりに再会する予定。彼は今ロンドン大学の政治学部でテロ問題の博士論文を書いていて、共通点も多い(スコットランド出身のため英語のアクセントは凄い)。パリにいる間も資料集めで走り回っているが、可愛がっている元生徒の一人が会おう会おうとうるさいので夕食を一緒に食べてくる。

ここで簡単な種明かしだが、今回の出張は、松下国際財団の研究助成金のお陰です。将来を夢見る社会学者・人文学者の皆様にはこの素晴らしい機会に感謝しつつ自分の力を試してみることをお薦めします。ちなみに私の研究トピックはここから見れて、こう書いてあります。

非対称紛争後における平和構築の段階的アプローチ
?インドシナ紛争とマラヤ危機に見る政治安定化の連続性の考察?


みんなも頑張れ。

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ところで、この記事(↓)の内容、当然のことだと思う。世界レベルで奮闘するにはまだ足りないとも思う。

東大の博士院生の大半、授業料ゼロに 「頭脳」獲得狙い

「他の国立大からは「東大だからできることで、一極集中に拍車がかかる」という懸念も出ている。」とあるが、なぜ東大を真似ようとしないのか不思議でもある。

ビクトー・チャ教授による講義の内容

先週末のビクトー・チャ教授による講義の内容は、今月号の Foreign Affairs 誌に無料で掲載されています。ご参考に。

Winning Asia
Washington's Untold Success Story
Victor D. Cha
From Foreign Affairs, November/December 2007

久々の犬の世話@フィリー

一週間ぶりにフィリーに戻って指導教授のの世話を3日間しているのりっぺです。今回の犬の名は日本語で健太。一方で私はグラントの応募の準備に追われて昨夜は4時間しか寝れず。

フィリーには木曜の午後に到着。そのまま学部に直行。午後3時ごろ、大学院生のラウンジで、同期のマットとデービッドと久々の再会。ラウンジでこの3人だけでばったりとは非常に珍しい。同僚になりもう5年目に突入。もうお互いのことはよく知っていて話も最高に盛り上がる。爆笑と絶叫の中、マットとデービッドがどちらの出身地が「凄い」かでケンカを始める(同じメリーランド州内)。博士論文で戦争の終結を研究している私は当然介入し平和的に解決させる。にっこり

5時前、無事インフルエンザの予防接種を受け、先輩のジェニファーと再会。学部内で最近発生した小さな問題の調停役をしていて彼女に軽く相談。問題は一時的にだが無事解決。

その後、担当教授の自宅に到着。早速先生の車を借りてフィリーを北上し懐かしの寿司ビュッフェのミナドへ向かう。久しぶりの寿司とあり、また普段の貧乏性がたたり大食いした結果、車酔いしながらなんとか運転し無事に帰宅。

翌日は金曜日。正午、同期のステファンと学部のラウンジで再会し、バスケをするためジムへ向かう。先週一緒にプレーした連中に合流しいい汗を流す。ステファンともいい会話ができた。2時、前日約束していたマットとペン近くの有名レストランのホワイトドッグで待ち合わせ。お互いの博士論文の話から学部内のゴシップまで話題は様々。

3時、アポに遅れまいと大雨の中走り、学部ビルへ。先週私がフィリーに来た際に、先輩のジューと後輩のダレイとクと話し、月2回のペースで博士課程の東アジア人生徒で集まり、博士論文や学部の相談ミーティングを開催することに決定。昨日はその初日。3人とも集まってくれて嬉しかった。アジア人ということもあり共通点も多く、話も予想以上に盛り上がり終わったのは7時近く。床屋に行こうと思っていたがもう閉まっていた。諦めて学部に戻り軽くメールをチェックして車を飛ばし、途中、日本食材を買って帰途に着く。今週世話している健太の散歩をして仕事を再開。来週月曜のパリ出発の前に終わらせなくてはならないグラントの申請が3つも残っている! けれども可愛い後輩のために相談に乗れてよかった。

アイスホッケー試合観戦

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フィリー出発の前日の水曜は、昼からコロンビア時代の先輩のジェーンと5年ぶりに再会。改装後初めて訪れた Sichuan Pavilion にて昼食。つい最近までエネルギー省で核弾頭、日中のエネルギー問題を担当していた彼女は元気そうだった(軍事問題でも核弾頭だけは国防総省ではなくエネルギー省にあたる)。共通の友人が多く話も盛り上がる。仕事の話も当然。お互い日本語と英語を五分五分に混ぜながらの会話は珍しい。

その日は夕食後、ジェーンと旦那さんに誘われプロ・アイスホッケーの試合を初観戦。私は野球・バスケ派なのであまり期待していなかったがこれが意外に面白い。この携帯からの写真からは伝わらないが(これはゴールの瞬間)、試合中は乱闘もあり、観客の盛り上がり方も半端でなかった。

パリとウクライナとフィラデルフィア

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パリ出張の予定が進んでいる。ホテルの予約は済んだが、フランス語の復習はほぼ諦めている。プリドクの応募の準備と進めている論文を、出発前に終わらせるために時間が必要だからだ。昨夜も4時近くまで仕事をしていた。

フランス語とはいっても所詮はロマン系の言語である。数年前だが大学時代に3年間勉強したし(成績は全てA)、ル・モンドなどの新聞は読めるし(長い目)、18歳の高校卒業直前にバイトで稼いだお金を使ってパリのユースホステルに泊まって一週間サバイバルもした。

一方でセルビアは首都ベオグラードでもロシア語を駆使し生き延びたし、ポーランドはワルシャワのウクライナ大使館でもウクライナへの入国ビザを賄賂を使って入手もした。そこから夜行バスでウクライナのリボブという街に真夜中に着いてバス停で放り出されても、地図なしで地元の人に道を聞きながら無事目的地に着いたのである。国境なき政治学者である。人間コンパスである。歩く多言語電子辞書なのである。どこへ行ってもいつも通り余裕なのである(爆笑)。

ちなみに、セルゲイ・ブブカとチェルノブイリ、そして最近のオレンジ革命で有名なウクライナという国は、最高にシブい、ファンキーな国である。普通に地元の人と乗り合いタクシーに10円くらい払って乗るのだが、それが車内にガソリンの臭いが充満しているのである。60年代のソ連製のワゴンなのである。一方で、ちゃんと切符を買って路面電車に乗っても(この写真でも見える)、車掌がアジア人の私に声をかけて切符のチェックをしつつ賄賂を強請ってくるのである。そしてその車掌は実は車掌のフリをした無職のヤンキーのあんちゃんだったりするのである。何度も沸かした水を使って紅茶を飲んでも、30分後には必ずお腹を壊すのである。ウクライナには結局は二度の入国で合計約一ヶ月滞在しただけだが、若いうちにあんな経験したら少なくともヨーロッパ内での生活はどんなんでも耐えられるだろう。

それにね、その乗り合いタクシーに乗ったり、それを運転していたり、路面電車で車掌のフリをする人達って、一見典型的なロシア人のようにストレスの溜まってブスってしているようにみえるけれど、少しでも話をしてみれば、そしてウォッカでも差し出してみれば(街中で売ってる)、意外と心の優しい、そこら辺どこにでもいる人間味のある暖かい人たちってことが多いんだ。

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明日から4日間はフィリーに戻る。大学でインフルエンザの予防接種受けてバスケして後輩2人の学部に関する相談に乗ってきます。

写真:ウクライナのリボブ。いい写真だ。
http://lviv.biz/en/lviv.jpg

皆様からのメッセージ

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日曜夜はプリドクの準備で4時間しか寝る時間がなく、重い体を引きずって仕事場に向かうも、途中でテロの学会の予定が入っていたのを思い出した。期待を膨らませ会場のレーガン・センターに寄る。パネリストの一人である国防総省の対テロ活動の責任者(陸軍の准将レベル)のスピーチに期待していたが、話の内容は「対テロ戦争は最終的にはイデオロギーの戦いだ」と最近よく聞く思考停止同様の主張をしていたので私は早めに退場。ペンタゴンのトップレベルでこれかいな。仕事場に着くと眠い目をこすりながら論文を進めた。昼は仕事場の同僚と一緒にブルッキングスで(自分の手作りの)弁当を食べ、再び仕事開始。

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最近このブログを読んでいる一般の方々から個人的にメールでメッセージを頂くことが多くなりました。私の博士課程の奮闘の様子に関するご感想から人間性に関するコメントまで様々なご意見、そして励ましのメッセージを頂いております。心から歓迎致します。私の仕事場に日本人はいませんし、ここワシントンでは日本人と話す機会も皆無で、このブログ以外日本語を使う機会が限られているのでとても嬉しいのです。最低限の社会的なマナーが守られているメッセージには必ずお返事します。

博士課程というビジネスと環境

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博士課程という社会環境に5年いると、アメリカの政治学問がどう動き、将来それに貢献する人々の生活がどういうものなのかよく分かる。

同僚はみな苦労している。年が経つにつれ先輩が少しずつ脱落してゆく。何も言わずに学部を去る後輩もいる。学問を極める過程で生じるあらゆるプレッシャーに押され、健康を害する者、社会環境になじめず学部を去る者、能力が足りず諦める者、別の仕事に就く者、博士論文が終わらず諦める者など様々である。時間の経過と共に自己の環境と夢を再考し、政治学の博士号の重要性をおもりにかけ、多くの人間がキャリアを調節する。それはどの大学でも同じである。結局のところ博士課程の授与率は入学者の半数なのである。

一昨日のソフトボールの帰り道、ウェンディと話しながら、博士論文の苦労、就職の悩み、学部内の人間関係など少し相談に乗った。私と同様、彼女も苦労している。つい先週大きな決心をしたらしく、学問の世界から少し距離を置き、自分を見つめ直し、別の仕事に就いてみたとの事である。彼女の話を聞いた後、私はそれを正しい判断だったと伝えた。彼女にとっては今それが一番良いのであろう。一方で私はというと、一刻も早く大学教授になって自分の研究を進めたいし、そして何より生徒の面倒を見たいので、今の方向を維持するつもりだ。

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最近、別のプリドクの応募の準備をしているのだが、今回のは研究内容に「宗教的もしくは道徳的な含蓄を含むもの」とある。笑わせてくれるのう…。私の研究内容は戦争において弱者がどう強者を倒すかである。宗教はともかく、どうやったらそこに道徳が見つかるっていうねん!

ソフトボールとスポーツの役割

土曜は午後から週末恒例のソフトボール。気温25度の快晴でスポーツ日和である。今回は学部の同僚で、現在ワシントンで博士論文を執筆中のウェンディを誘い、一緒に参加。ウェンディは私と同い年で仲もよく学年違いの兄弟のようなものである。今月から米議会の研究機関にて勤務している。お互いの近況を話しながら野球場へ向かって歩く。

私は小中と6年間野球をやっていて良かったと思う。そうさせてくれた両親に感謝している。お陰で今のチームではベストの内野手だし(サードとショート)、ソフトボールだからこそなのだが毎試合必ずホームランを打つスラガーでもある(しかもライト側へ流し打ち)。

ゲームはいつも通り楽しかった。試合には勝てなかったが友人も増えたし、チームの一員としてしっかりとした社会関係を作っている。私の人生は博士課程だけではないと実感して楽しめる。スポーツは人間の社会環境を滑らかにする役割がある。私が博士課程一年生のときに学部の連中とバスケを毎週して友人が凄い勢いでできた。なにせ教授陣も毎週金曜ジムにいって学生と一緒にバスケをするのである。多いときでは20人ほど学部から来ていた週もあった。

フィラデルフィアでの2日

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昨夜、フィリーから無事帰還。

2日間に及ぶ良い出張だった。フィリーに着くやそのまま学部に向かい、正午からの会議に出席。学部長のエイブリーと大学院生部長のアイアンから、今作業中のプリドクの書類に関するアドバイスなど重要な情報を入手。

会議が終わるとすぐに着替えて久しぶりにペンのジムでバスケ。2時。半年振りにいつものメンバーと再会したが、彼らだけは時間が止まっているかのように、毎週木曜日の午後バスケしていた。半年振りでも錆付くことはなく、しっかり自分のプレーができてよかった。彼らによると私は gunner and runner (シュートを打ちとにかく走るプレーヤー)であるそうだ。

その後、学部に戻り同僚と再会。もう私はベテランの域に入るため、同僚とはいっても後輩が多い。今回会ったのは同期のステファンとサラ、先輩のジューとジェニファー、後輩のダレイ、ライアン、エリック、クロエ、アリソンなど。

4時半からは、元ホワイトハウスの国家安全保障会議でアジア部長で、現在はジョージタウン大学で教鞭を取っているビクトー・チャ教授の講義に参加。会場に入る前に彼とばったり会い、早速自己紹介。彼とは共通の知り合いが多く、博士論文のことなど聞かれた。

彼の講義はブッシュ政権における東アジア政策。内容はというとブッシュ政権がいかにアジア地域の政治的安定に努めたかというもの。興味はあったが、結局はブッシュの時期にアジアは安定したとの政権のための宣伝で、がっかり。ブッシュの時に東アジアが安定したのはネオコンが中東のほうに向いていたからではないか(冗)! 日本のことも言及していたので、質疑応答の時質問した。

I have a question about the US-Japan security alliance. Is an emerging two party system in Japan a good thing for the alliance?

日米安保同盟に関して質問があります。最近日本に出てきた二大政党システム(民主党の躍進のこと)は同盟関係にとって良いことですか?)

と、簡単に聞こえるが実は非常に難しい(特に彼の立場にある者にとっては)質問をした。答えるのに戸惑っていたが頑張っていた。私だったら上手く対応できなかっただろう。

は指導教授のご自宅に泊まらせて頂いた。フィリーに来る場合はいつでもご自宅に滞在できるよう、今回家の鍵と車のスペアキーを頂いた。ここまで私を可愛がって信頼して下さって嬉しい。こんなに暖かい扱い、私が教授になる際には次の代に伝えたい。

来週は木曜からフィリーに戻りしばらく滞在し、月曜にパリに出発します。

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前回のエントリーについて、数名の方々からメッセージを頂いた。このブログを読む人の数は一日平均100人近くだが、その中でも気にかけて下さってありがとうございます。全ての方にお返事させて頂きました。

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最後に、最近はここでやや悲観的なエントリーが多いと感じる方がいるかもしれない。基本的にこのブログの主旨は、私のように努力を重ね世界の政治学の教育界で活躍したいと望む日本人の方々を励まし、勇気付けることである。私のように特に恵まれているわけでもない、普通の日本人でもここまでできることを証明したい。そして同時に、その目的が達成できないと感じるときは、このブログを閉鎖する準備はできている。こんな自己満足のくだらないブログなど目的を失えば過去を思い出す以外の意味はない。

写真:我がペンシルベニア大学の中央通りこと Locust Walk。授業の合間に歩く生徒達。

音楽
Robert Miles One and One
http://www.youtube.com/watch?v=oSPLGzQz97M&mode=related&search=

Robert Miles - Fable (Radio Edit)
http://www.youtube.com/watch?v=33tD3gGstT8&mode=related&search=

「二番手」の人生観

2週間ぶりのフィリーから。

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私の人生は、いつも「二番手」の人生である。

これは前の彼女のご両親にのみ話したことがある。もうこのブログを読んではないだろうが、お二人は私が世界中で尊敬する非常に数の少ない方々である。彼らが私を大切に扱ってくださった分、私は今も彼らを大切に思っている。

「二番手」の人生観とは、私は今まで一番になったことはないことから発する。クラスでも、社会でも、恋愛でも、いつも自分の前には、そして上には誰かが一人いて、私はあたかも対抗馬のように苦労し、努力し、そして時には大きな失敗をしているのである。英語で言えば underdog、ドラえもんの漫画に例えると毎回毎回ジャイアンに叩きのめされ、しずかちゃんにふられ続ける「のび太」のようなものである。

私の経歴とこのブログはよく誤解を招く。私にはもう追うべき夢のない先駆者のような人間だと勘違いされる。逆なのである。私はいつも下から上を見続けてきた人間なのである。

学問でも、人間関係でも、自分の前には必ず誰か、自分よりも魅力のある、強い、恵まれた大きなライバルがいる。それが誰だかわからない場合もある。そして残念ながらそれが毎日の私をドライブするスピリットなのである。

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私の博士論文は、ここからインスピレーションを得ている。プライベートとプロフェッショナルは分けているが、自分の置かれた二番手としての立場からどうその逆境を乗り越え、自分の夢をかなえようとするこの過程に強く共鳴する。

世界において弱者が苦境を乗り越える事ほど、これほど不可能でありえなく、刺激的なトピックがあるだろうか。そして、これほど面白い人生にめぐり合えるだろうか。

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今日、フィリー行きのバスの中で、そう考えていた。涙が止まらなかった。
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