Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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2007年08月

Challenging the Generals

A must read for those interested in civil military relations in general and in the recent debate about whether Army top brass should have challenged the civiilan policymakers in their decision to go to war with Iraq.

Challenging the Generals
By FRED KAPLAN

Chicago

I arrived in Chicago Wednesday morning. Immediately checking in my downtown hostel, I took subway to Hyatt/Sheraton hotels where the annual meeting is located.

No jetlagged but I am extremely exhausted, yet excited nevertheless. I will dive into bed soon before waking up early to check out some of the interesting panels Thursday morning.

ブログ引越しに際して

ブログ引越し後初めてのエントリーとなるが、最初に記しておこう。

再渡米を直前にして今日ほど人生で悲しく不安な日はない。

在京中のこの3ヶ月間、研究所での仕事を楽しむ一方、これほどとない個人的な悩みを抱えて苦しんでいた。「努力は全てを制する」と普段信じている自分の努力の限界を無理やり認識させられ、辛い事実を飲み込まされ、その解消に苦労した。まだ克服からは遠い。毎日毎日悲しみ、涙が出る日は目を腫らしながら泣き、涙が出ない日は心の中で滝のように泣いている。

そしてこれから、今までの生活とは全く種を異にするワシントンでの生活が待っている。知り合いは多いが友人は少なく、住処もその「あて」さえもなく、未だ学生を続ける私には経済的拘束も強い。まだ決まっていない住居に運ぶべき家具や荷物は多く、そしてこの夏一時的に家具を置いている倉庫からの引越し手続きでさえ、全く進んでいない。今後2週間は、落ち着く場所を探しつつ野宿のような生活を強要され、自分で這い上がって行くしかない。普段は自信と余裕で笑顔が溢れる生活をしている自分の内部が、いかに不安と恐怖心で覆いつくされているかが分かる。自分はプレッシャーに強いと、このプロフィールでも豪語しているのに。

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日本は、政治学・安全保障学という学問を極めるべく学ぶ博士候補にとって住みにくい国である。この3ヵ月、何人かの方々と接してきたが、自分の専門を説明するにあたり懐疑的な目で見られる場合はまだしも、むしろ私の学問的貢献や政治学者としてのキャリア形成の目標に対し必要以上に攻撃をしてくる方に数人出合った。つい数ヶ月前までは学生だったある友人は、突然高級取りの「社会人」に変身し、「社会人」にとっての「社会」に属する事のできない学生の私をあたかも上から見下し良い気分に浸っている。職業という表面的な殻に守られない限り、そんな態度とは無縁の人間だったと私は理解していた。

そもそも日本語でいう「社会人」とは実は最も誤解を招きやすい単語の一つであり、学問に属さない人間さえも契約一本で「社会」入りすることのできる、本来の社会として実質的な意味を持たない表現である。当然、日本語でいう「社会」に属さない私も、実際は「大学社会」「学問社会」などという、誇り高き立派な社会に属しているのである。

ただそんな事は重要ではない。

6月、とある学会に出席した時、そこのレセプションに参加した。そこで私を知る外務省の高級官僚の方に数年振りに会うことができ、早速丁寧にご挨拶させて頂いた。ニコニコして話す私をよそに、その室長レベルのエリート外交官は私に向かい、顔を引きつらせながら、こう言った。

相手「**さんの論文は、日米関係にしろ、安全保障にしろ、テロリズムにしろ、たまに読みますけれど、ねぇ、私達のやっている実務とはかなり離れてますよねぇ、でしょ?」

その方は国際平和問題の分野では日本では神的な存在として崇められているそれはそれは立派な方なのだが、まさかその方からこんなセリフを頂戴するとは思っていなかった。私はもちろん丁寧に、

「それは学問は実務を一般化して普通の人々に理解して頂けるよう簡単に説明するのが私達の仕事ですので、実務との距離が生まれるのは当然の事だと思うのですが。」

と返事をすると、その答えがよほど気に入らなかったのだろう、その方は更に顔を引きつらせながら、ばつが悪そうに「ではまた…」と言いながら私から去っていった。

私になぜそんな攻撃をするのか。もし私に実務の知識が致命的に足りないと思うのなら、そんな攻撃をするのではなく、逆にこうしたらより良い論文が書けると、その知識を分け与えるようオファーをするべきではないのか。なぜ世界に旅立ち日本の安全保障に強く貢献しようと夢見ているこの私を、挫こうとするのであろうか。私はあなた方と同じ、この国の防衛に尽くし、日本を守るべき海外で頑張っている一人の人間に過ぎない。日本の新聞に掲載されることのない、アメリカを中心とする政治と政治学の世界で酷く扱われているこの母国の誇りと名誉を回復すべく、政治学の最先端でそのイメージを払拭しようと毎日毎日努力を重ねるこの私をなぜ攻めるのか。あなた方にとって、私のような人間は同士ではないのか。

そもそも実務を知る人間が正しいとは限らない。今回の社会保険庁の事でも、過去の外交官のスキャンダルでも、社会の「教科書」を作る側の私から見れば、教科書を読まずに自分が正しいと信じ込み暴走する生徒を規制する役割は、役人にあるのではなく我々学者にあるのである。世界の最先端で実務を担う方々には、その力学を忘れてもらっては困る。

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学会が始まる今日から数日の間は、日本語でのエントリーが不可能になる。この悲しい毎日を克服しようともがき続ける私をドキュメントする事ができないのは残念である。ただ読者の方に理解して頂きたいのは、今回ここに記したこのスピリットで、少しずつ着実に、この挫折を乗り越えていこうと思っている事。十分傷ついた。あとは自分の力でこれを治癒していくだけだ。

この新規ブログの最初のエントリーでは、その希望と勇気を記し、皆に伝えたかった。
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