Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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2009年02月

Tokyo Dance Trooper

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ダホメアン戦争の章を大急ぎで執筆中。来週から始まる10日間の春休み連休で、採点と並行させてほとんど終わらせる予定。4月上旬には学部内での研究論文発表会があり、そこで博士論文を同僚の前で博士論文を発表する予定ため、それまでに大いに進めたい。

先日書いたようにダホメアン戦争の資料は少なく、特にアフリカの資料を用いてアフリカの視点から軍事問題を分析するのは大変な作業である。一方で、フランスの1890年代の植民地政策に関する資料は豊富にあり、残念ながら(現時点では)仏語の資料を避けて英語のみの文献に当たっているのだが、その中で特に頼っているのが以下の数冊。読破。

1. Raymond F. Betts, Assimilation and Association in French Colonial Theory, 1890-1914

2. Charles John Balesi, From Adversaries to Comrades-in-Arms: West Africans and the French Military, 1885-1918

3. Stuart Michael Persell, The French Colonial Lobby, 1889-1938




必見↓
Tokyo Dance Trooper in Shibuya
http://www.youtube.com/watch?v=t7X9MQi7uOU&feature=related

ワシントンでの新しい日系シンクタンク

先日載っていた記事。ワシントンに「日米研究インスティテュート」という名の政策研究機関が設立されるとの事。今後は文化、財政、言語など色々な問題に直面するだろうが、私はこの設立に大賛成である。

東大など5大学、米に政策研究機関…外交・経済などテーマ

話を聞くと様々な問題で少し発足が滞っていたようだが、日本の大学・研究業界にとっては素晴らしい進歩である。国籍の壁を越えて国際交流のできる能力の高い日本人若手研究者が世界で羽ばたく稀な機会であり、そんな彼らには独自の研究テーマを持ち、ワシントンの小さな日本人コミュニティのに出、自己の能力を最大限に発揮できる環境の中で大いに頑張って欲しい。研究内容はもちろん安保・軍事面の進歩に期待をする一方で、ワシントンでしかできない、特に必ずしも日本・日米関係と直結しない内容の課題を、様々な手法を用いて多角的に研究して欲しい。

今年の受験競争率は…

我が政治学部の合格発表が先週あった。今年の競争率はなんと9倍! 私の知る限りで10倍を切るのは今回が初めて。私の入った2003年度は倍近かったはず。一般的に不況の年は受験者の数が増えるため競争率も…、と思いがちだが、うちの学部はフレンドリーだった模様。合格した人おめでとう!

残念ながら日本人の合格者は今年も無し。一人合格に近かった人がいたようで、話を聞く限りは立派な経歴を持っていたようだ。いずれにせよ第一志望の大学に合格した事を祈る。

同時に、我が学部はある程度名がある一方、他の大学と比べて競争率が低い傾向にあるため、日本人にとっては今後も受験校としては真剣に考慮されるべき大学であると思う。少なくとも5年間の奨学金、保険費用、授業料全額免除の他、2年間の夏休み間の給料もしっかり出るためチャレンジする価値は十分あると思う。

ただ一方で悲しい事に、私は来年度で卒業する見込みのためこれで私がいる間に直に邦人の後輩を迎え入れる事ができなくなってしまった。

いずれは後輩に会える日を夢見て…。

日本外交のトンデモ話:ソマリア

来週から数日間ヨーロッパにて短期の休暇。実質は場所を移動させての仕事に変わりはないんだけどね。そして先ほど今夏の帰国用のチケットも購入。日本も楽しみにしてまっせー。

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ところで、昨日以下の記事を読んで少し驚いた。

韓国、海自に給油を打診 ソマリア沖で 日本は拒否

ソマリア沖の海賊対策に海軍艦船派遣を計画している韓国が、日本政府に海上自衛隊から給油を受けられないか打診していたことが分かった。日本側はインド洋での補給活動はテロ対策に限定されているとして拒否。防衛省内には3月初めに国会に提出する海賊対策新法に外国艦船への給油を盛り込む案もあるが、首相官邸は消極的で、実現性は低いとみられる。

11日に行われた日韓外相会談では海賊対策の協力で合意したが、海自の活動の制約もあって、実際に何ができるかは手探り状態が続いている。

韓国政府関係者などによると、韓国側は外相会談前の実務協議で、海軍駆逐艦「文武大王」を近くソマリア周辺に派遣する計画を説明。「最も助かるのは給油支援だ」と日本側に打診した。国際テロ組織「アルカイダ」がソマリアで活動していることから、補給支援特措法を適用できるのでは、との期待もあった。

しかし、日本側は、特措法での給油対象はテロ対策の海上阻止活動に参加している艦船に限定されているため、不可能だと説明した。

防衛省は一方で、各国艦船の給油の需要が多いとして、海賊対策新法に、派遣される海自の任務に給油を加えることを検討。政府関係者によると、13日の官房長官、外相、防衛相の会合で浜田防衛相が提案したが、「海賊対策と直接関係ない」「審議が混乱する」などの理由で受け入れられなかった。

韓国国防省によれば、ソマリア沖で護衛が必要な韓国の関係船舶は年間150?160隻。韓国側が韓国人乗組員のいる日本の関係船舶を護衛する代わりに、海自に韓国船の護衛を期待する声もある。しかし、海自が派遣する護衛艦は2隻で、保護対象に想定している日本関係船舶は少なくとも年間2300隻以上。新法が成立して日本と無関係の外国商船を保護できるようになっても、日本船の護衛で手いっぱいなのが実情だ。

(牧野愛博=ソウル、石松恒)

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情けない限りである。給油の打診に対する日本側の拒否は当然の対応である一方、東アジアを代表する軍事力を誇る日本がこの種のリクエストをされる背景には、その政治意図の欠陥が韓国を含む東アジア諸国に浮き彫りになっている事がないだろうか。そもそも私に言わせれば、この派遣すら特に必要な行動だとも思えない。

いくつか考慮できる点を挙げると、

1.韓国を含む他国へ日本の海自派遣の意図が正確に伝わっていない。伝わっていない分、誤解を招く危険があるのと同時に、その曖昧さが外交上弱みとして使われる危険性をはらむ。

2.ソマリア沖での海賊対策は、実質的には(インド洋などで展開された)テロ対策と限りなく近く、逆に分別する方が難しい。今後この点を踏まえた韓国に再度リクエストされた場合、説得力のある説明が日本側に用意されているか不明。

3.最も大切な日本の政治力。今回の事件は東アフリカ地域における日本の外交・政治力を一時的に定義する効果があり、今後は他国によるより協力な外交圧力がかかる事が予想される。

今夏の予定

今夏は5月半ばから1ヵ月半ほど東京にいる予定です。帰国の時までには博士論文いい感じに進んでいると思う。

東アジア研究会、博士卒業の相談

学会から戻り落ち着きを取り戻しつつある今週末。昨日は大学で、去年発足した東アジア研究会(iDeas)の定例会を開き、今後の指針をメンバー12人と話し合った。今回の会議を仕切ってくれたネイサンのリーダーシップの元、出版面の計画で大きな進歩が見られ今後が楽しみだ。

昨日はまた、指導教官のエイブリーと話し、先日のダリルとの昼食について報告。研究も現時点で順調に進んでおり、エイブリー本人もこのペースで良いと思っている。来年度に卒業する旨を改めて確認し(嬉!)、これから博論の仕上げも職探しも本格的に始める事になる。景気は不安定で職探しには向かない年であるが私には他に選択肢はない(し、あっても特に興味はない)。この「背水の陣」のスピリットがどんな結末を生み出すか興味のある所である。

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ダホメアン戦争の章、42?到達走る

ニューヨークの国際関係学会の報告

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月曜朝10時過ぎにニューヨーク到着。バス停から歩いて学会会場へ。正午過ぎからの私の発表はいつもの通り上手くいった。発表内容は何度も書いている通りマラヤ、インドシナ、そしてイラクの対反乱軍戦略。そこにて同じパネルのアンドリューとローラの知己を得る。研究分野が近いため将来顔を合わせる事が多くあろう。その後はランドで一緒のアニットと久しぶりに再会し近況をお互い報告しながら談笑。夕方7時ごろのバスでフィリーの自宅に帰宅。

水曜、朝は5時半起床で再びニューヨークへ。11時前、ダートマス大で教鞭を取る、指導教官のダリルと半年振りに再会。政治学会のライジングスターとも言える彼とは会話が止まる事を知らず、早めの昼食を取りながら、私の近況や研究状況や将来の目標に極めて親身になってアドバイスをくれる。予想していた以上に私の博士論文に目を通していて、いきなりされた質問は想定外の難しさで満足できる形で答えられなかったが、あたかもそれを予想していたかのように理解してくれた。私にとってのロールモデルの彼は同時に長男である私にとっては兄貴のような人間でもある。頼んでもいないのに1時間半も付き合ってくれた。

昼食後、少しタイムズスクエア辺りを探索しながら彼の現在の研究のブリーフィングを受ける。最近東アジアの研究を始めたようで、アメリカの防衛総省を通して様々な情報を得ており、会話の流れで機密事項に触れる内容にまで話が広がった。ここには書けない内容は実は将来の日本の安保政策に重要な影響をもたらす性質のものであった。そして私が普段から唱えている日米安保同盟に関する考え方の正しさを証明する内容でもある。

その後彼と別れ、少し時間があったので41丁目と5番街の日本食屋に顔を出す頃には雪が降り始めた。急いで再び会場のホテルに戻り、リラックスして仕事を進めていると阪大で教鞭を取られる日本人の方に遭遇し談笑。その後は、また別のライジングスターとも言うべきプリンストンのジェイソンとバッタリ再会、お互いの近況を報告しながら談笑。彼もまた、私にとってはいい兄貴分である。政治学会ではまだまだ駆け出してもいない私の博士論文の内容を覚えていてくれたのは嬉しかった。時間が迫っていたので長く話せなかったが楽しんだ。その後は急いでバスに乗り帰宅したのは午後9時過ぎ

1週間のうちに3度もニューヨークに行ったのは今回が初めてで、できれば最後にしたい…。

一晩限りのレイバー@NYC

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週末は夜からニューヨーク入り。タイムズスクエアのマリオット・ホテルに赴きジャン・マルクと共通の友人で米空軍大学院で教えるゲーリーと再会。この3人が揃うと話が最高に盛り上がる。

遅めの夕食はホテル近くのイタリアンで済ませその後はジャン・マルクと歩いて Pacha へ。流石はニューヨークを代表するテクノ系クラブの一つ、大混雑で質の高い曲を延々と流していた。ただ去年のサンフランシスコでのトランス系のレイブの方が二人の趣味には合っていた。

結局朝まで踊り続け帰り道近くのダイナーで朝食を取りながら談笑。彼との付き合いは今後長くなりそうだ。

ダホメアン戦争の章、22?到達走る

採点開始

担当の授業で最初の提出物があったため今週末はその採点に時間を費やしている。一人5ページの論文を46人分読むのは大変な作業だが、面白い発見をする事もある。授業中はシャイなため私が少し不安視していた生徒が実はしっかり勉強していたり、授業ではほとんど議論に参加しないのに、論文の中では態度を豹変させ「世界政治の無政府状態は第二次世界大戦後の核兵器の誕生によって中和された」なんていうトンデモ論を自信満々に展開してくる生徒もいる。あんなに授業でアナーキーとは何かと説明したのに…。

博士論文の最後の事例の章が軌道に乗り始めた。ダホメアン戦争の研究で役立つ書物は幾つかあるが特に Boniface Obichere の West African States and European Expansion がお薦め。限りがある資料をフルに使ってよく研究・分析されている。

明日土曜夜は悪友ジャン・マルクとニューヨークで落ち合いオールの予感…。困った

壁絵

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フィラデルフィア名物の一つ壁絵。今日は帰り道に大学近くで新しく塗られている壁絵を発見。

少し見にくいが、人種差別を受けながらも米軍を通してアメリカのために尽くした黒人を描いている。中央にある白い部分の右のほうには「Whites only」と書いてある。
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