Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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2009年06月

故郷へ:レイクタウン、小学校、ラーメン屋

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今月最後のエントリーは私の故郷に関して。

日曜日は数日振りに越谷へ。今まで気になっていた、最近新しくできたイオンレイクタウンに足を延ばした。ここは私にとっては思い出の深い見田方遺跡の場所に作られたものである。

足を踏み入れるとそこにあるのはアメリカのショッピングモール。実際私の知っているアメリカの大手のモールよりも大きな規模で圧倒された。

内部で見る言葉の大半が英語であった事にも驚いた。そこまでするかい!と思うほど、店の名前の多くが英語。テナントも外資系多し。モールから一足踏み出せば草ぼうぼうの荒地が続く。また、私の同窓で覚えている人もいるだろうが、私たちの中学時代は、この見田方遺跡の周りで毎年マラソン大会をやっていた。男女別だが全学年同時に競争した、懐かしい思い出である。小学生の時にはここで夏キャンプもしていた。

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懐かしく思いながら、その後は地元のバスに乗って私の卒業した小学校へ。数年振りにグラウンドに立つと、地元の少年野球チームが練習をしていた。私も昔はその一部で、毎週末練習に励んでいた。これまたなんて懐かしい風景。

小学校から越谷駅への徒歩の道、きれいなアジサイを見つけた。私がかつて住んでいた家の近くも徐々に変化している。

数分歩いて駅前に着くと、先日の小中学の同窓会の話のネタにも出てきた、結構みんな行っている、馴染みのラーメン屋で昼食を取った。

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その同窓会で語った事は、故郷を歩き回るのは私にとっては年に一度できる程度の非常に大切なイベントだという事。他の人には中々理解されないかもしれないが、故郷から距離が離れるにつれ、そこへの思いやりは一方的に強まってゆく。世界中どこにいようがその法則は変わらない。

来年、就職先がどこに決まろうとこの気持ちは大切にしたい。

ノリ・ネル・ムンド

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フェイスブックで何度も招待されていた、「ノリ・ネル・ムンド」というグループに参加した。「世界ののり」という意味で、苗字、下の名前のいずれかに「のり」と入っている、文字通り世界中のFBユーザーを集めたコミュニティ。

コミュニティの参加者を見るとその大多数が、苗字として Nori を持つイタリア人。100人以上いるようだ。面白い。

さらに面白いのが、そのコミュニティの紹介文。オリジナルのイタリア語の紹介文から、ネットの翻訳ツールで無理やり邦訳したものに見える。

「これらの名前または姓ノリ..我々は我々としては、藻類と呼ばれてすることはできません!」

藻類ってしかも、日本語の「海苔」の事やんけwww

今後の予定

自分の夏休みの方向性をクリアにする意味も込めて。

7月半ば: 博士論文のイントロ、理論、証拠の計3章を博士論文委員会に提出。

7月半ば: ベトナム・マレーシア出張。

8月上旬: アメリカ帰国、学会用の論文を仕上げる。就職活動が本格的に開始。

9月第一週: アメリカ政治学会で発表@トロント。秋学期の授業開始。

9月第二週: デューク大での「新しい顔」会議に出席、論文発表。

研究所の毎日

徹夜明けの疲れきった体を引きずって今週も研究所で論文執筆。順調に進んでいるか?と笑顔の所長に尋ねられる場合の私の答えは決まっていて、予想していなかったほど生産的な時間を過ごさせて頂いている。

研究所ではしばしお喋りをして、一人自分のギャグに大笑いをして事務の方々や研究員の方々に迷惑をかける事もあるが、私にとってはここ以上にアットホームに感じられる研究所は少ない。私が最後に在籍した2年前の楽しさがここには今年もある。

昨夜は所内のパーティに参加して、霞ヶ関ビル近くのイタリアンにて楽しい時間をご一緒させて頂いた。他に知る術もない、貴重なお話もたくさん聞かせて頂いた。

この機会を与えてくれたスポンサーに深く感謝して、残りの時間を有意義にすごしたいと思う。

博士論文執筆の影の苦労

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今夜は何を思ったのか徹夜で仕事。たまに自分を戒める意味を含めて強行する。

ここ数日の論文執筆の過程で、議論の進行の仕方に問題がありそれを直す必要があった。明日はいつも通り研究所に顔を出す予定だから早めの就寝もオプションの一つだったが、深夜回った時点でコンビニに走って缶コーヒー2杯飲んだため既にあきらめモード。体力の続く限り頑張ります。

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ベトナムとマレーシア出張の日程が決まったので、今は日にちごとのスケジュールを埋める作業に追われている。今回の目玉の目的地はインドシナ紛争における仏軍からの最初の爆撃地のハイフォンと、最後の激戦地ディエン・ビエン・フー、そしてそのラオスとの国境沿いの地域である。ディエン・ビエン・フーまではハノイから片道16時間のバスの旅で、途中の山岳地帯ではインドシナ半島の高地を代表する絶景が見られるらしい。

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防衛大での講義から学んだ事

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金曜は昼近くに家を出、いざ横須賀へ。1時前に防衛大学校到着。1ヶ月ぶりである。

今回招待して下さった私の高校時代の先輩のオフィスで軽く談笑した後はすぐにゼミの講義を始めた。

最初の授業は国際関係学科の学部生で、準備していたとおりイラク戦争とアフガン戦争の変遷について話した。

最後は日本の安保政策の提言で締めくくり。生徒からの質疑応答の時間になり、一番印象に残ったのが実はこの部分。日米安保の是非についての議論が盛り上がったのだが、前回の講義などを通して薄々感じていた、防大生の中に根強く残る自衛精神の欠陥を再度思い知らされた。米軍の助け無しではわが国の防衛は不可能と開き直って主張する生徒が数名みられ、あたかもそれが主流のような印象を受けたのだが、他国への安保面の依存は文字通りの衛の精神に真っ向から対立する概念である。もちろんこの多種多様な政治見解の世界、私は一通りの考えを広く認め、堅実な考慮と有効な証拠があればその主張も受け入れるようトレーニングを受けてはいるが、もしも我々一般人が多額の血税を通して支援している防大生が己の防衛能力に自信を持たないとすれば、そして有事の際に我々がまず最初に頼り、戦場の第一線で自己を犠牲にしながらも闘うべき存在の彼らがこうであれば、これは彼らの存在自体に疑問を投げつけかねない、大きな問題である。防衛大で日米関係、そして防衛論自体に関して、どのような教育が施されているのか強く疑問に思った。

短い休憩を挟んで今度は修士課程と博士課程の研究生を相手に講義。私にとって大学院生相手の講義は初めてで少し緊張したが、これがとても良い経験になった。今回のプレゼンでは私の博士論文からデータを部分的に引用し、少しレベルを上げた授業にして望んだが、30分ほどを予定していたプレゼンも終わってみれば、途中幾つかの質問を含め1時間近く要し、その後の質疑応答もいれれば最終的には2時間以上も議論をしていた。今回は大多数の現役自衛官を含む10名の研究生が顔を出してくれ、その大半がこのブログを予め読んで下さっていたとの事である。

研究生からの質問の多くは私がアメリカで経験する質問のレベルに相応する、非常に鋭く、同時に幅広い良い意見が多かった。私の博士論文への弱点もいとも簡単に見つけ出し、それを的確に指摘し問題化させるその姿勢と能力には少し驚かされたのと同時に、今後の論文執筆に役立つ良い機会であった事を確信した。また近い将来、このような機会に恵まれればと思う。

その後は大学敷地内を簡単にドライブして頂き、この写真を撮った。そして教授の車に乗せられ新宿の高級レストランにて夕食をご馳走して頂いた。私の高校時代の先輩という事もあり共通の話題も多く、人生の重要な問題に関しての指針も幾つか頂いた。感謝の念を忘れずお別れをし、夜遅く帰途に着いた。

専門分野を生かした母国へのサービス(本来の意味で)、こんな形で貢献できて私は幸せ者である。

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写真は防衛大敷地内にあるF?104戦闘機。

ベトナム・マレーシア

ベトナム・マレーシア行きの切符を調達。7月の半ばから20日ほど。楽しみなのだが気になるのは渡航にかかる時間。3本の飛行機を乗り換えて片道で一日以上かかるのである。現地の滞在場所や目的地の事前調査を進めている。

博士論文の執筆も順調に進み、今進めているのは就活用にと論文の第一章。論文審査の過程では一番大切な場所といってもいいため気合も入る。

防衛大での講義の準備、民主党「友愛」外交への産経批判

防衛大での back to back 講義まであと数日。講義用の原稿が出来上がってきた。

今回は前回のイラク戦争のネタに加え、博士論文から直接データを引用して、ヨーロッパの過去200年の植民地戦争の軍事戦略について述べる。それに対テロ戦争での政治戦略と、南アジアで展開中の欧州軍の軍事活動に関する問題をブレンドさせる予定。

この後半のネタは大学院生の講義のためのもので、議論のレベルもそれに応じて少し高めてある。ただ内容を披露するのは今回が初めて。どのような反応が返ってきて議論が進むか今から楽しみである。 続きを読む

誕生日

今日、また一年、いい男に成長しましたw。今年は私の今までの人生での集大成でもある博士課程の卒業(予定)が待っている。後悔せぬよう頑張ろう。

と思いきや、とある事から、今まで少しずつ進めていた日中軍事関係の研究を途中で辞めなくてはならなくなってしまった。博士論文ほどではないが結構気に入っていたトピック(そして何よりも研究のパズルに興味をそそられた)だったから少しがっかり。また別の機会に恵まれればと思う。ただし、ある意味これで博士論文に集中できるいいきっかけにもなった。

今週末は色々楽しい時間を過ごせ、今日日曜は仕事に充てた。明日からは再び研究所での仕事。論文研究の一環として、来月マレーシア(クアラ・ルンプール)とベトナム(ハノイ等)に行って参ります。

街角テレビのインタビュー、トロント

昨晩は紘平兄と新橋で会うと直後に街角テレビのインタビューを受けた。明日の朝、番組名は忘れたけれど、一般生活の中での「運動」に関するプログラムの一部として出るかも知れません(恥)。結構面白いインタビューで、幾つかの質問に堂々と答えておいた。その後は紘平兄とうどん屋でサシで相談会。お久しぶりです。夢に向かって頑張って下さい!

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ここ数日から博士論文のイントロの章を書き始めている。残りのパーツとのバランスもあるが、1ヶ月ほどで仕上げたい。そしてアメリカ政治学会のためのトロント行きの切符とホテルを予約した。13年ぶりとなる思い出の地トロントにいける事が嬉しい。その翌週には例のデュークでの発表会が待っているため、今回のトロントでは4日間バケーション気分で少しリラックスしたい。
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