Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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2009年08月

土曜日はソフトボール4試合@ワシントン

先日書いた通り、土曜日はワシントンでソフトボールの大会に参加した。午前5時起床、7時にフィリー発の電車に乗り込み9時過ぎにDCに到着。1ヶ月ぶりである。

当日はブルッキングスのチームに所属して、ワシントン内のシンクタンクのリーグ戦に参加。一日に全てのゲームを詰め込んだため、最高気温32度の炎天下、6時間で4試合をこなすという猛スケジュール。場所はデュポン・サークルから南西に15分ほど歩いたグラウンド。今回の相手は National Democratic Institute、U.S. Institute for Peace、German Marshall Fund、そして Hands on DC の4チーム。

私は4番ショート(たまにレフト)で先発出場。打率は5割超、柵越え含む4本のホームランを打ってクリーンナップの仕事をこなした。最終結果は2勝2敗だが得点差が有利に働いて参加5チームのうち2位で表彰! また、主将のエリン、友人のライアンやジョン、そして我が学部の友人で米政府で働くウェンディらチームメイトと1年ぶりに再会できて嬉しかった。フィリーの自宅には午後9時過ぎ、到着。

今日は筋肉痛で動けないが、この大会だけのためにワシントンに行く甲斐は十分あった。

博士論文完全版の提出は12月1日!

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金曜は夕方から、東アジア学部のネイサンの博士課程試験の合格をお祝いして、大学近くのタイ料理屋にて会食。専門は違えど大変な試練だったと思うし、仲間が合格して興奮している。また今回は初めて本人のご家族にもお目見えできて嬉しく思う。夕食は2時間以上フルに盛り上がってお開き。

今週の指導教官のエイブリーとの会話の中で、私の博士論文の完成版の提出日がついに決まった。12月1日。そして私の博士論文委員会のメンバーを前にして研究の成果を報告・防衛するディフェンスの日がとりあえず2月1日。もう後には引けない。

博士論文の完成のためには残り1章丸々と、結論の章で扱うイラク戦争の分析がある。就職活動、他の論文の執筆、TAの授業などもも同時進行で行うため、今後3ヶ月は文字通り大忙しの日々が続く事になる。

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写真:ハノイの軍事博物館にて。

就活面接オファー、日本人の夕食会

アメリカ政治学会を来週に迎え、ある大学から面接のオファーが送られてきた。小さな大学だがなぜか私の研究に興味を持ってくれ、学部長直々メールをしてくれた。指導教官のエイブリーにも話して喜んで受諾。今年は前回よりもオファーの数が少ないため大切にトライオてみたい。

学会の土曜日の夜は、日本人研究者が集まる夕食会に参加予定。毎年恒例のこの夕食会には3年ぶりの参加になり、また新しく政治学者と知り合える機会をとても楽しみにしている。ところで、同じく参加を予定されている方がいらっしゃればぜひご一緒させて頂ければと思います。メルアドにてご連絡お願いします。

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ブルッキングス研究所からメールがあり、今週土曜日のソフトボールの大会のメンバーとして招待された。朝から夕方までワシントンにおります!

着実たる博士課程の進歩

火曜日、午前中に指導教官のエイブリーとオフィスで懇談。先月提出した博士論文のドラフトを読んで頂いた結果、コメントを別に頂いた上、研究の十分の進歩を認められ、来年の5月に卒業する事がほぼ固まった。自分の今までの努力の成果が認識された事を嬉しく思う。就職活動が一段階終わる来年の2月頃、いわゆる博士論文のディフェンスを開催する方向で大幅に話がまとまった。コメントを頂いた後は今年度の就職活動に関する相談を小1時間ほどさせて頂いた。

その後は後輩のライアンと久しぶりに再会し、彼の最近のイギリスの出張と、私の東南アジアでの経験について語り合った。彼の軍隊の組織論に関する博士論文も質の高いものになりそうで今から楽しみにしている。

その後はエイブリーに言われたとおり、別の指導教官のエドに推薦状を書いて貰えるよう頼みに行く必要があった。ただエドは今年から学部長なのに加え研究で普段から忙しく、どんな反応が来るのか正直不安だった。思い返せば、大学院に入ってからは、奨学金にせよ、学部内の研究費の競争にせよ、教授からの注目を得るための競争にせよ、自分があまり得意としないことでもトライしなければならない場面が多くあった。今回もそんな状況に陥り、数十分の間、一人になり、話をどう切り出そうか深く悩み続け、普段の私をご存知の方々にとっては想像しづらいだろうが、ずっと緊張していた。

午後、意を決してエドのオフィスのドアをノックして、就職活動に必要な推薦状を(数十通)書いて貰えるよう、頼みに行った。自分の現在の状況を説明してからストレートに頼むとエドは笑って了承してくれた。嬉しかった。これで私の博論委員会の全員のメンバーから推薦状を約束され、早速その旨を伝えると委員長のエイブリーも喜んでくれた。

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6年間の博士課程で学んだ事は数多いが、その中のひとつに、自分の得意としない事に直面する時、失敗を覚悟して勇気を振り絞って頑張ってみると、実は意外と簡単に物事が進む、というのがある。

私はこのブログで否定的な事は多く書かないが、実は大学院での研究を含め、人生において大きな失敗を幾つか経験している。このブログを読んだ方から、「のりさんのような研究者になりたい」と日本国内外からメールを頂き私も毎週のように感謝しているが、この場を借りて言わせて頂くと、成功していそうな人間こそ実は、その陰で結構な努力をしていて、さらに結構な失敗をしているのである。

そしてその努力や失敗というのも、自分が準備をして予め用意できるものというわけではなく、本位ではないが自分の夢を達成するためには通り越さなければならないため、自分に何とか鞭を打って、何とか頑張り通さないといけない、本当に難しいハードルなのである。私は幾つかの痛い経験を元にレッスンを学び、ここぞと言う時に頑張って、少しずつ少しずつ、ライバルと競争しながらここまで来た。

博士課程の頂上までもう少し。少しずつ光は見えてきた。絶ゆまぬ努力は続けたい。

ハノイとクアラルンプールのホテル情報

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「ハノイのホテル」等で検索してこのページに辿り着いた方へ。

今回泊まったハノイのホテルで一番のお勧めは Elegance 4。tripadvisor のランキングでは、300以上あるハノイのホテルで堂々の一位。

http://www.hanoielegancehotel.com/

写真にあるような大きくきれいな部屋にはコンピューターが設置され、無料で必要な分だけ使える。スタッフのサービス精神は日本の旅館のレベルに匹敵するほど素晴らしい。他のホテルの予約、バスの切符の予約、ハノイ在住の軍人の住所の調査wなど全て無料でこなしてくれる。また、値段に含まれている朝食には毎回感動した。ハノイではもちろん、ベトナム伝統料理の一つのフォー(ラーメン)を数回食べたが、このホテルの朝食のメニューにあるフォーのスープが一番美味しかった。最高級の部屋で日本円にして6500円。一番安い部屋でも3000円で、一人の旅行ならこのオプションでも十分。もちろん、朝食もインターネットもついている。

ハノイではヒルトンにも数日泊まった。ただネット接続料は一日1500円近く取られるのと同時にスタッフは機械的でもある。ただ、日本人のスタッフがいるのに加え、プールもついていて、朝食も豪華。夏休みの割引で一泊1万円。

一方でクアラルンプールでは一貫してヒルトン。市内ではなく Petaling Jaya という、電車一本20分の郊外に位置している。部屋の設備はハノイのヒルトンよりも悪いが、朝食のビュッフェの内容は圧巻。あんなご馳走を一週間も食べれたのは幸せ。一泊約6千円。

ドイツで100人程の大学教授が賄賂に関与か

一年以上前に伝えられたドイツの大学事情では、海外で取得した博士号の現地での有効性について少し書いた(「ドイツで使えない海外の博士号タイトル」)。

そして今日は別のニュースが回ってきた。ドイツではこの数年の間に、100人程の大学教授が、博士号授与の見返りとして学生からの賄賂に関与していたとの報道。賄賂に関わる博士課程のプログラムは幾つもに上り、関与した生徒数は数百人に上るようだ。

Germany: 100 professors suspected of Ph.D. bribes

知識の買収はモラルや研究の質、大学の評判などの点から許される行為ではないが、どの場合でも賄賂を考える時はそれが一部分を形成するシステム全体の視点から考慮する必要がある。給与面等の待遇により賄賂の状況は変化し、程度の違いもあろうがこの場合など既に制度化しているようにも思える。もちろん、本来の研究の面からは、知識の買収に関わる人間など認められない。

学会での就職面接のアポ・R&R

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政治学会開催まであと2週間。ただ今就活中のため、開催地で行われる就職先との面接のアポを入れているのだが、かなり苦戦している。

経済悪化の影響を受け、ポストの絶対数が今の時点で少ないためか。2年前のメールを見てみると、この時期には既に10校くらいからアプローチを受けていた自分。今年はこちらから連絡を入れて1校中堅大学のアポを取り付けたが、別の2校から見事に断られている。せっかく3日半もトロントにいる予定なのに…、暇やん

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ある安保系のジャーナルから連絡があり、私が提出していた論文が条件付きで再提出の「招待」を受けた。このR&R(revise & resubmit)と呼ばれるステイタス、時期的に重要なため肯定的に取るつもりだ。

同時に別のジャーナルからの返事を待っており、また、もう一本別の論文が完成するまであと2週間ほどか。

頑張ります。走る

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写真:ベトナムはディエン・ビエン・フーの激戦地エリアン4の塹壕を調査中。

マレーシアのアルバム

今回の出張の最後のアルバムはマレーシアから。

首都のクアラルンプールは極度の商業化のため興味深い写真が少ない。
従って今回は主にイポーから。先日書いた極楽洞の入口にて。
鍾乳洞の中に中国の宗教像が静かに置かれている想像を絶する空間。
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それだけで既に観光価値のある鍾乳洞に仏像がシブく溶け込んでいる。
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イポー旧市街の町並み。
これらの店の中でどんな生活が送られているのか不思議に思う。
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マレーシアのカレンダー。
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クアラルンプールで最も重要な場所の一つ、
独立広場(メルデカ・スクエア)。
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アプサと今年の博士課程新入生

トロントで開催されるアメリカ政治学会まで残り2週間ほど。自分の発表するスライドの完成が遅れている。博士論文よりも研究意欲が沸かないため、ここ数日は自分に鞭を打ちながら研究している。発表当日は、パネリストとしての口頭でのプレゼンではなく、私個人のポスター発表になったのが救いであろう。

今年の新入生のバイオが学部から送られてきた。見てみると例年より多い13人。みんな意思の強そうな自己紹介文を書いている。今回見て気付いた事は、新入生のほとんどが中堅レベルの大学を卒業している事である。上位と言えばスタンフォードとコーネルのみである。私の支持する、日本でいう「学歴ロンダ」にあたる現象はアメリカでも見ることができる。ただ、その多くの生徒が既に修士号を取得しての入学である。特に海外大学卒の新入生のほとんどが修士号を既に持っているというのは、前にも書いた通り、最近のアメリカの博士課程入試のトレンドにある程度反映されているのではないかと思う。

TISSへ論文提出・ペトラエウスの発言

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週末は、来月参加するデューク大の発表会で使う論文の準備に費やした。日曜夜、ようやく提出。その発表会のHPをふと見てみると私のバイオなどが掲載されていた。

その後は指導教官のエイブリーにも提出。現時点で最高の出来の論文を読んで頂いている。

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前回書いた The Gamble を読了。コブラ2には情報収集力や全体的な分析力などの面で及ばないが、読んでいて楽しかった。後半読んでいて特に興味を持った部分は、ペトラエウスが上司のファロンとの人間関係に上手く行かず苦しんでいた時に流れた、ファロンがペトラエウスを「臆病者」と呼んだという噂。それに関して質問を受けた時の彼の返答(234?)が、

If some fxxxxxx guy told me that, I would walk out of the office. I'd say, 'Here, you got it, take over.'

現役陸軍司令官のこの種のストレートな意見がそのまま引用され印刷される事は稀。

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写真:マレーシア空軍博物館で撮影した輸送機。
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