Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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2009年11月

国境はこう渡る5:スコットランドからベルファストへ

高3の冬。クラスメートが皆大学受験をしている時、私はバイトで貯めた資金を使って一人でスコットランドを旅していた。時は2月、とある日曜日。場所は人口約1万人の港町、ストランラー。グラスゴーからの長距離バスを経て、フェリーに乗ってアイルランドに向かっていた。

夕方発のフェリーは数時間かけてノース海峡を渡る。目的地のベルファストに着いたのは夜の10時過ぎ。これから予め調べておいたユースホステルに向かわなければならないのだが、地図を持っていない。

ベルファストの港に着くと乗客は次々と闇夜に消え、中心街に向かって歩く人間は私だけになってしまった。15分ほど、早足で光が固まっている方向に歩き続ける。ふと、市内バスのターミナルらしき場所に着き、バスの運転手にホステルの方向を聞いてみる。中年の男性がゲーリック訛りの強い英語で、言葉じゃ分かりにくいだろうからと私のために、なんとその日は最終で終えた、あの赤いダブルデッカーバスを出し、私を乗せてホステルまで連れて行ってくれた。優しさに心を打たれる18歳。

そしてそこには当時の政情に全く無知の私がいた。

それもそのはず、北アイルランドの独立を目指すアイルランド共和軍はその数日前に停戦協定を破棄し、ベルファストは事実上テロ攻撃が行われている真っ最中だった。そしてその4ヵ月後、イギリスはマンチェスターで大規模のテロ攻撃が仕掛けられていた。

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そりゃ大学入ったら、政治系統の勉強しだしますがな。

正月戻ります

先日書いた時点ではまだ分からなかったけれど、正月に東京に戻る事が決まりました。期間は年始最初の1週間なり。

今回の楽しみ:家族、友人との再会、東京めぐり、そしてもちろん「餃子の王将」。

天文政治学

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2日前に書いた天文学の研究の件、まだ最初の段階だけれども少し進みました。まず、同じ大学に通われる方でこのブログを見て下さっていた方から親切なメールを頂き、今後考えるべき面白いアイデアを共有して下さいました。個人的なお返事でも述べましたが、この場を借りて感謝の気持ちを述べたいと思います。ありがとうございました。

一方で大学の図書館員にも相談。幾つかの文献を提示され、自分でも少し見てみると結構面白いのがあった。その中でも特に2つの図書に興味を持ったので早速借りてきた。

一番目のはシッブイ名前の Astropolitik。もうその名の通りである。二番目は The Politics of Space Security。また別に Astropolitics というジャーナルがあるという事も発見。論文の内容を理解し始めるには時間が必要だろうが、しっかりと読んでいこうと思う。

宇宙の限界、惑星や隕石の動き、宇宙人との戦争

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博士論文提出まであと数日。無事に終わりが近づいてきたためか、最近別の研究トピックのことを考えるようになった。

2ヶ月ほど前に書いた、天文学への興味。天文学を使って政治学と国際関係学にどう貢献できるか(逆も然り)、ここ数日ずっと考えている。ただ肝心のトピックが絞れず、従って研究方法も決められず、従って必要な文献も定まらない。宇宙の限界、惑星や隕石の動き、宇宙人との戦争(冗談に聞こえるが私の分野の人なら一度以上真剣に考える)などに特に興味があるが、それらが既存の政治学の枠組みにどう当てはまるのか、そして当てはまらずどのような考え方が必要なのか、分からない。

とりあえずクーンやラカトシュの科学の哲学の著作を読み返したが少し漠然過ぎるし、どちらかというと哲学や社会学の分野に属し、私が得意とする国際関係学や安保学には当てはまらない。後輩のハオチアンに薦められたハイゼンベルクの Physics and Philosophy を読んでみたが、少し今の自分には難し過ぎる。大学で天文学は学んだが、物理は高1以来ご無沙汰だからね。

ただせっかくここまで膨れ上がってきたこの興味、大切にしたい。このブログを読んでいる方で(他力本願)お薦めの文献をお知りの場合は是非ご連絡下さい。お願いします!

ヨーロッパ

今週はヨーロッパに行ってきます。慣れない場所での仕事頑張ってきます。

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歌の好みにドンピシャ。当時アメリカを夢見る高校生だった。

どりかむ / サンキュ.
http://www.youtube.com/watch?v=-f0iH9b-hBM&feature=related

アメフトの試合のアルバム

先日開かれた、学部対抗のアメフトの最後の試合にて。4戦全敗の記録を作るもチーム内の結束力は高かった。最後の試合は我が大学で一番大きなスタジアムで開催された、良き思い出。

私が属したオフェンス・チームのメンバー。右から回ってキャプテンのエリック、
クリス、私、チェルシー、エメリク、バーバラ、ロゼラ。
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攻撃の合間の作戦会議。たった10数秒の間で次の動きを全て決める。
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攻撃の最中。私はスピードを生かして敵陣地に切り込む役。
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日本帰国ほぼ決定だよ

年末に1週間ほど東京に戻る予定です。忙しい時期だから基本的に家族との大切な時間を過ごす事が目的。最近新しく加入した家族のメンバーに初めて会えるのをとても楽しみにしている。将来いつの日かこのブログを見つけて、私がどれほど会えるのを楽しみにしているか、知って欲しいと思う。

ここ最近、後輩から研究の相談が増えた。昨日はバーバラ、今日はハオチアン。バーバラのは対反乱軍戦略と軍事介入を混ぜた面白いネタで、私もこれから色々助ける事ができそうだ。ハオチアンのは私の専門からは少し離れるが、国家の脅威の知覚の問題を深く鋭く考察するもので、今後の発展を楽しみにしている。

民主党の日本外交とオバマの訪日

数日前に書いて以来の日米関係(日米関係の正念場)。この数日間、日本の報道機関はオバマの訪日を大きく伝えているが、最近はこの二国間のネタが少なくなればなるほど、日本にとって良いと思えるようになってきた。ある意味アメリカにとってもそうではないだろうか。

鳩山政権の外交パフォーマンスにはいい意味で関心している。自民党による長期政権の堕落した、変化と戦略のない対米政策から大きく脱却し、独自の世界観に基づいて近い将来の日本の方向性を模索している。その世界観の熟成にはもう少しの時間が必要だろうが、現時点の方向性に特筆すべき間違いは見られない。特に関心するのが、選挙のためのプラットフォームにできるだけ堅実に政策を練っている点。日本のマスコミも自民党も、民主党によるマニフェストの矛盾を今か今かと待っているのだが、中々弱点を晒していないのが今の民主党である。

今回のオバマ訪問については、広島と長崎の訪問もアジェンダの一つだったようだが、アメリカの幾つかの報道を読む限り、特に真面目に考慮されていた計画ではなかったようだ。広島を訪問したルース駐日大使もオバマに対して明確なコミットメントを表明させるようとはしなかった。アメリカの退役軍人への考慮、アメリカの核戦略への影響、国内政治への配慮などを考えれば両市への訪問は極めて難しい政治判断である。それだけでも大変なのに、あの小浜市の、己の名を政治的に悪用した断続的なアピールを考えれば、オバマにとっては重いくらいの日米関係だろう。鳩山政権からのアフガニスタンや沖縄に対する強いコミットメントがない限り、訪日には実際1日で充分だったと思う。

あの有名なネルソン・レポートを読んでいて思うのが、他のルートでは仕入れにくい面白い情報を掲載している一方で、それを読む日本のマスコミ、外交関係者、各省庁、そして財界の方々は気をつけなければならない。それが伝える日米関係のネタは毎日「政治的」意味合いのある、断片的に選ばれた情報がほとんどで、必ずしも日米関係を包括的に、かつ公平に分析しているものではない。読む内容によっては、私は時々このレポートが日本の外務省関係者に間接的に影響を与えるべく作られた外交の道具として思えてしまう。最近の沖縄の問題に関しても、日本の親米マスコミがするようなアメリカの国益に沿った書き方をしており、あくまでアメリカのマスコミの一環として捉えられるべき報告書だと思った。

日本人の先輩はいなかった!

月曜、いつものように学部をシブく歩きながら、今まで一度もやっていなかったことをしてみた。事務の方々に頼んで卒業生名簿を見せてもらって、今までうちの学部を卒業した日本人は果たしているのか、という事を調べてみたんよ。

そしたら予想通り、日本国籍の卒業生は誰一人いなかった。入学した人は過去にいたかもしれないけれど、卒業した日本人はいなかった。残念。ただ日本語の名を持つ方を一人見つけたので調べてみると、国籍はアメリカと書いてある。確かに日系米国人は結構いそうで、特に驚く事でもない。実際に私が入学した前の年にも日系米国人が一人入学している(中退したけど)。この記録は1970年台前半からのみだからそれ以前の資料は見ていないけれど、時代を考えてみれば恐らく誰もいないんじゃないかと思う。結局俺に先輩はいなかったんか。

後輩もいないんかー悲しい

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月曜夜は再び学部対抗のアメフトの試合。今学期は全部で3試合して一度も勝っていなかったけれど、なぜかプレイオフ出場が決まり(勝敗に関係なく出れる)、昨日が我が学部にとっては最後の試合。私はいつもの通りオフェンスのチームで出場。ワイドレシーバーとしてプレーして、パスを2度受けて少しヤードを稼いだけれど、今回はそれがベスト。いつものどおり得点を入れられず、相手チームには2度入れられて、今回も敗退。結局今学期、うちの学部は一度も勝ったどころでなく、1点を入れられずに終わってしまった。

試合後、いつものように円陣を組んで、チームメイト全員の貢献を称え、いやー楽しかったねーと笑顔で話してた。午後8時過ぎ、皆で近くのバーで慰め会開始。皆でワイワイ飲んで、団結力が高まった後のパーティはほんと楽しかった。

国境はこう渡る4:テキサスからメキシコへ

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時は真冬であるはずの一月上旬。周りの人はタンクトップ一枚で歩いている。私もTシャツに短パン。場所はテキサス州のブラウンズビル。周りで聞かれる言葉はスペイン語である。英語の表記もほぼ皆無である。

夕方、心を決めて街の中心部から徒歩でメキシコ入国を試みる。メキシコ側の街の名はマタモロス。

リオグランデ川にかかる橋を渡る時に驚いた、その川の細さ。グランデとは「大きい」を意味するスペイン語。更にこの川はメキシコからの不法入国を防ぐべき「第一の防衛線」の一部を形成する。完全武装の国境警備隊があらゆる場所に配備された大きな川を私は想像していた。実際は、我が故郷の越谷に流れる元荒川よりも細かった。

マタモロスへの期待が一気にしぼんだ。入国して数分後、私の不安はすぐに吹っ飛び、期待以上に異国感溢れる楽しい町に繰り出す事になった。
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