Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士課程を卒業し、アメリカ空軍戦争大学で教鞭を取った後、アメリカ中西部のセントルイス大学の政治学部で教えています。国際関係学、安全保障、東アジアの政治学を担当しています。ここ数年は日本の軍事力と文明間の紛争の研究を進めています。 このブログでの意見と表現はあくまで著者個人のものであり、必ずしも関係機関の政策を反映するものではございません。

2009年11月

アメフトの試合のアルバム

先日開かれた、学部対抗のアメフトの最後の試合にて。4戦全敗の記録を作るもチーム内の結束力は高かった。最後の試合は我が大学で一番大きなスタジアムで開催された、良き思い出。

私が属したオフェンス・チームのメンバー。右から回ってキャプテンのエリック、
クリス、私、チェルシー、エメリク、バーバラ、ロゼラ。
ce5940d9.jpg


攻撃の合間の作戦会議。たった10数秒の間で次の動きを全て決める。
75817f72.jpg


攻撃の最中。私はスピードを生かして敵陣地に切り込む役。
328b181b.jpg

日本帰国ほぼ決定だよ

年末に1週間ほど東京に戻る予定です。忙しい時期だから基本的に家族との大切な時間を過ごす事が目的。最近新しく加入した家族のメンバーに初めて会えるのをとても楽しみにしている。将来いつの日かこのブログを見つけて、私がどれほど会えるのを楽しみにしているか、知って欲しいと思う。

ここ最近、後輩から研究の相談が増えた。昨日はバーバラ、今日はハオチアン。バーバラのは対反乱軍戦略と軍事介入を混ぜた面白いネタで、私もこれから色々助ける事ができそうだ。ハオチアンのは私の専門からは少し離れるが、国家の脅威の知覚の問題を深く鋭く考察するもので、今後の発展を楽しみにしている。

民主党の日本外交とオバマの訪日

数日前に書いて以来の日米関係(日米関係の正念場)。この数日間、日本の報道機関はオバマの訪日を大きく伝えているが、最近はこの二国間のネタが少なくなればなるほど、日本にとって良いと思えるようになってきた。ある意味アメリカにとってもそうではないだろうか。

鳩山政権の外交パフォーマンスにはいい意味で関心している。自民党による長期政権の堕落した、変化と戦略のない対米政策から大きく脱却し、独自の世界観に基づいて近い将来の日本の方向性を模索している。その世界観の熟成にはもう少しの時間が必要だろうが、現時点の方向性に特筆すべき間違いは見られない。特に関心するのが、選挙のためのプラットフォームにできるだけ堅実に政策を練っている点。日本のマスコミも自民党も、民主党によるマニフェストの矛盾を今か今かと待っているのだが、中々弱点を晒していないのが今の民主党である。

今回のオバマ訪問については、広島と長崎の訪問もアジェンダの一つだったようだが、アメリカの幾つかの報道を読む限り、特に真面目に考慮されていた計画ではなかったようだ。広島を訪問したルース駐日大使もオバマに対して明確なコミットメントを表明させるようとはしなかった。アメリカの退役軍人への考慮、アメリカの核戦略への影響、国内政治への配慮などを考えれば両市への訪問は極めて難しい政治判断である。それだけでも大変なのに、あの小浜市の、己の名を政治的に悪用した断続的なアピールを考えれば、オバマにとっては重いくらいの日米関係だろう。鳩山政権からのアフガニスタンや沖縄に対する強いコミットメントがない限り、訪日には実際1日で充分だったと思う。

あの有名なネルソン・レポートを読んでいて思うのが、他のルートでは仕入れにくい面白い情報を掲載している一方で、それを読む日本のマスコミ、外交関係者、各省庁、そして財界の方々は気をつけなければならない。それが伝える日米関係のネタは毎日「政治的」意味合いのある、断片的に選ばれた情報がほとんどで、必ずしも日米関係を包括的に、かつ公平に分析しているものではない。読む内容によっては、私は時々このレポートが日本の外務省関係者に間接的に影響を与えるべく作られた外交の道具として思えてしまう。最近の沖縄の問題に関しても、日本の親米マスコミがするようなアメリカの国益に沿った書き方をしており、あくまでアメリカのマスコミの一環として捉えられるべき報告書だと思った。

日本人の先輩はいなかった!

月曜、いつものように学部をシブく歩きながら、今まで一度もやっていなかったことをしてみた。事務の方々に頼んで卒業生名簿を見せてもらって、今までうちの学部を卒業した日本人は果たしているのか、という事を調べてみたんよ。

そしたら予想通り、日本国籍の卒業生は誰一人いなかった。入学した人は過去にいたかもしれないけれど、卒業した日本人はいなかった。残念。ただ日本語の名を持つ方を一人見つけたので調べてみると、国籍はアメリカと書いてある。確かに日系米国人は結構いそうで、特に驚く事でもない。実際に私が入学した前の年にも日系米国人が一人入学している(中退したけど)。この記録は1970年台前半からのみだからそれ以前の資料は見ていないけれど、時代を考えてみれば恐らく誰もいないんじゃないかと思う。結局俺に先輩はいなかったんか。

後輩もいないんかー悲しい

-----
月曜夜は再び学部対抗のアメフトの試合。今学期は全部で3試合して一度も勝っていなかったけれど、なぜかプレイオフ出場が決まり(勝敗に関係なく出れる)、昨日が我が学部にとっては最後の試合。私はいつもの通りオフェンスのチームで出場。ワイドレシーバーとしてプレーして、パスを2度受けて少しヤードを稼いだけれど、今回はそれがベスト。いつものどおり得点を入れられず、相手チームには2度入れられて、今回も敗退。結局今学期、うちの学部は一度も勝ったどころでなく、1点を入れられずに終わってしまった。

試合後、いつものように円陣を組んで、チームメイト全員の貢献を称え、いやー楽しかったねーと笑顔で話してた。午後8時過ぎ、皆で近くのバーで慰め会開始。皆でワイワイ飲んで、団結力が高まった後のパーティはほんと楽しかった。

国境はこう渡る4:テキサスからメキシコへ

523ae94e.jpg
時は真冬であるはずの一月上旬。周りの人はタンクトップ一枚で歩いている。私もTシャツに短パン。場所はテキサス州のブラウンズビル。周りで聞かれる言葉はスペイン語である。英語の表記もほぼ皆無である。

夕方、心を決めて街の中心部から徒歩でメキシコ入国を試みる。メキシコ側の街の名はマタモロス。

リオグランデ川にかかる橋を渡る時に驚いた、その川の細さ。グランデとは「大きい」を意味するスペイン語。更にこの川はメキシコからの不法入国を防ぐべき「第一の防衛線」の一部を形成する。完全武装の国境警備隊があらゆる場所に配備された大きな川を私は想像していた。実際は、我が故郷の越谷に流れる元荒川よりも細かった。

マタモロスへの期待が一気にしぼんだ。入国して数分後、私の不安はすぐに吹っ飛び、期待以上に異国感溢れる楽しい町に繰り出す事になった。
月別アーカイブ