アメリカにある、ありえん都市の名前シリーズ
Truth or Consequences
知ってた? 日本語訳すると「真実もしくは結果」。
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先日、映画 Lost in Translation を観た。予想以上に良い作品。内容はどこにでもある年齢差のある淡い恋愛なのだが、ロケの場所が東京であることに結構救われたと思った。
「トラ・トラ・トラ」も観た。日米開戦までの政治を明確に描く名画。観てよかった。
2010年02月
そして今年も日本人の合格者はいなかった。私のいた7年間、結局誰一人入らなかった。かすりもしなかった。悲し。
短期間においても重要な変革を遂げるアフガン情勢。
意外にもとんとん拍子で進んでいる、タリバンとアフガン政権の対話。本来なら敵対関係にあるはずの単純な図式が実は、お互いの権益が複雑に絡み合う現実が浮き彫りになりつつある。テロ活動を抑える最も有益な方法の一つだと考えられる「対話」は、個人の研究者で言えばオードリー・クローニンやランド研究所などからもその重要性が認識されている。モルジブで開かれ、国連を交えているとされるこの対話の驚くべき点は、タリバン側がその情報の公開を黙認している事。テロ組織内にとってはある種ギャンブルであるはずのこの手段が今後タリバンやアルカイダにとってどのような影響を与えるかはまだ不明。
ここ数日の間、急激にメディアの注目を得ているのが、アフガニスタン南東部に位置する「マリャ(Marjah)」での戦闘模様。建物や民家の影に隠れて機関銃やロケット砲を撃ち続けるタリバン勢力とそれに対抗するNATO軍とアフガン軍の戦い、数年前のイラクでの「ファルージャの戦い」にはその過激さが劣ろうが、ここ数ヶ月の間のアフガニスタンでは特に顕著な戦闘例として伺える。コンバットの側面で特に重要な点は、NATO軍とアフガン軍による地上軍と空軍を、一般人の犠牲者を最小にとどめる努力をしながら、どう混ぜ合わせ最大の効果を出すかである。この戦いの結末が今後の軍事バランス、そして上記の外交的対話にどのような影響を与えるかもまだまだ不明。
同時に注目すべきは、ここ数日の間に重要メンバーを失いつつある「パキスタン側」のタリバン。トップ軍事アドバイザーを無人戦闘機に殺害され、第2コマンダーは先日パキスタンとアメリカの情報網に捕獲された。タリバン内の指揮交代は組織的な安定性に影響を与え、それは今後の作戦の内容にも変化を与える。「アフガン側」タリバンとの関係やバランスも重要な研究要素になると思う。
今日は腰痛で職場のオフィスアワーをキャンセルし、自宅休養。気分転換に寄ったスタバで読んだ論文はこんな感じ。
1.昨年の Political Science Quarterly にて発表された、Juan Cole 教授の Pakistan and Afghanistan: Beyond the Taliban。パキスタンの政情とその歴史が批判的なレンズを通してよく分かる、良い資料。
2.International Security 最新号に掲載された、ビクター・チャ教授の Powerplay: Origins of the U.S. Alliance System in Asia。日米関係が平等なものだと勘違いし続ける研究者は特に必読の論文。
3.最後は同号の Jonathan Caverley 教授による The Myth of Military Myopia。非対称戦争や特殊な形の紛争においてなぜ民主主義は「正しい」戦争の仕方を学ばないのか、という面白いパズルを解く、素晴らしい論文。私の博士論文にも直接影響を与える。見つけてよかった。
皆様こんにちは。博士論文のディフェンスを終えて約1週間、多くの方々からお祝いのメッセージを頂いており、とても嬉しく感じております。重ね重ね、どうもありがとうございます。ただ今日は、重要なお知らせがございます。
5年半に渡って続けてきたこのブログ、その更新を停止しようと考えております。
もちろん理由は複数あるのですが、その中でも特筆すべきなのが、このブログの本来の目的である、アメリカ政治学の大学院での苦闘(と成功)を、私の経験を通して伝えるという事の達成が、少しずつ近付いてきている事です。
あともう一つの大きな理由が、今後の私のキャリアの方向が、あくまでこのブログの更新に適していない環境にあるかもしれないという可能性が、高まってきた事にもあります。この点については今後再び言及することがあるとは思いますが、現時点では詳細は完全に控えさせて頂きます。また、ブログとキャリアは必ずしも反する関係にはございませんが、その関係にある場合は、私は迷わず後者を選択するつもりでございます。
更新を停止する場合は、今後4ヶ月以内に実行します。このブログを毎日のように、とても長い間見てくださっている皆様には感謝の気持ちが絶えません。もしも何かコメントを残すことを希望される場合は、お気軽にメール下さい(yaponorry@hotmail.com)。キャリア面での詳細は完全に伏せさせて頂きますが、皆様との交流は喜んでお受け致します。
と思っていたら、来週末に発表予定の学会のペーパーが終わっていなかった。なので週末を使って終わらせる予定。土曜日から1日だけれど、ニューオーリンズの国際関係学会で発表してきます。先日書いた通り現地では悪友のジャン・マルクとゲーリーらと会う予定。これは楽しみ!
読者の皆様。
多くの方からメッセージを頂きました。口頭諮問の前からもすでにメールで励まして下さった方もおられ、嬉しく思いました。また試験に合格した際も数人の方からお祝いのメッセージを頂きました。ありがとうございます。
試験の当日は5時起床。コーヒーで目を覚まして6時半には大学へ向かう。7時過ぎ、大学に到着して博士論文550ページを読み直す。大丈夫、準備はしてるし、俺なら合格できる、と思いながら。
9時過ぎ、同僚が学部入りし始め、リラックスしながら会話する。試験監督で、私の研究をこの数年間監督してくれたエイブリーと最終的な打ち合わせを簡単に済ます。試験の場所は学部長のエドのオフィスで開くことを確認し、私も聞かれると予想できる問題を頭の中で繰り返し、ネクタイを締め、背広を着て、博士課程最後の壁を打ち砕くべく、リラックスしつつも戦闘モードに切り替える。
10時、エドのオフィスに教授陣が終結し、私の口頭諮問「ディフェンス」が開始。最初に10分くらいを使って私が博士論文の内容と結論をまとめて話し、そこから教授による質疑応答。もちろん予め予想できていた質問もあったが、それ以外のものもあった。特にダリルの質問は難しいものが多く、答えるのが難しかったのと同時に、私が苦労して出した答えにもダリルからの返答は、"Ok, that's helpful." と、完全に満足していたものではなかった。逆にエドからの質問は答えやすく、準備していたものがズバリ出たような感じだった。もちろん答えにくい質問、もしくは満足した答えのできない場合には、「じゃそれは今後の研究で取り入れるべき点だな」と、優しくエイブリーが助け舟を出してくれたりもした。
そんな風に過ごした時間も早45分を過ぎ、教授陣が私を別室に追いやり、短い会議が始まる。その間、外で待っていたアレックスや後輩のティムらと談笑しながらも私の緊張は解けない。5分後、エドが私を呼びいれ、教授が笑顔で私を迎え入れてくれた。直後、指導教官のエイブリーからおめでとうの言葉をかけられ、正式に博士号に合格したと告げられた。話はそこで終わらず、今後の出版にかけての書き直しの仕方や出版社との交渉の戦略など、多くの時間を割いて頂いてアドバイスをもらった。満足して終えたのが午前11時10分くらい。その後メールをチェックすると、ダートマスで私のことを気にかけていてくれたジェニーから、おめでとうのメッセージが入っていた。ありがとう。
そしてエドやエイブリーも、その時点から初めて、私をドクターと呼んでくれた。
そんな風にして、私の博士課程の全てのカリキュラムを満たすことができた。数年前まで考えてもいなかったそんな事を可能にしてくれたのはもちろん、多くの犠牲を払いながらもじっと私を待っていてくれた家族であった。私の力を信じ続け、私の苦労を理解できる限り理解し続け、いい歳になってしまったこんな私の自由を許してくれた家族なくしては、ここまでこれなかった。博士号というこの誇り高き称号は、大きな意味で私の家族に捧げられるものであり、そんな家族を持って、本当に嬉しく思う。
そしてこのブログの読者の皆様、長い間応援をして下さって本当にどうもありがとうございます。あなた方からの数々のメールから私はずっとエネルギーを頂いておりましたし、これは今後も変わらないでしょう。このブログの主旨でもあるように、私のような普通の日本人でもアメリカの政治学で勝負をし、大学院を無事に卒業できるんだという可能性を、少しでも多くの日本人の方々に証明できればと思います。またこのブログを読んだ方で、少しでもアメリカの国際関係学に興味を持たれ、そんな難しいことでも勇気を持ってチャレンジしている限り、そして努力を持って成功を導くことができるんだと信じてくれる方が少しでもいれば、それこそ本当に私の本望でもあります。
私ができればあなたもできます。頑張って下さいね。
今週末、フィリー含む東海岸の一部は大雪。土曜日の昼まででも、ここフィリーでは50センチくらい積もってます。交通機関もほぼ完全にマヒ。今夜には雪も止むようだけれど、肝心の月曜日までには直って欲しいと思う。
なぜかというと月曜日は私の口頭試問の日。朝の10時から1時間ほど、博士論文委員会の教授陣を前に論文の主旨、発見、そしてその重要性などを説明し、質疑応答をこなすいわゆる「ディフェンス」を行う。ほぼ確実に上手くいくと思うけれど、やっぱり最後の最後までわからない可能性があるからね、まだ完全には安心できないよ。
というわけで上手くいけば、2日後のこの時間にはドクターになってます!
50名のうちAを取った生徒はなんと2人。希望の成績に足りなかった生徒からのメールが途絶える事はない。新学期が始まってもう1ヶ月、もう10人くらいから苦情のメールきて、その対応に苦心してるよ。