Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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研究者の方々へ、Global Studies Quarterly (https://academic.oup.com/isagsq) への寄稿を是非ご考慮下さい。副編集長として編集作業に携わっております。お気軽にお問い合わせください。日本の多くの大学がそうであるように、JUSTICE (https://contents.nii.ac.jp/justice) 所属大学の方々はオープンアクセス出版料金が免除されます。

2010年10月

ある土曜日の結婚式

今日は初めて、軍隊の結婚式に参加した。普段から可愛がって貰っていた別の学部の方から招待され、基地にあるチャペルに赴いた。式自体は45分ほど、途中でアベマリアを聞いて荘厳な気持ちでチャペルを出た。式の最後はやはり軍隊、剣を持った将校たちの下をくぐって新郎新婦が出て行った。他の参加者も同僚が多かったので会話も弾んだし、綺麗な新婦との挨拶も楽しかった。

その後は基地のパーティ会場に赴き食事と同僚との会話を楽しんだ。そこでは私のボスである将官の方と数十分、サシで話す機会もあった。話は極めて個人的な分野に入り込み、お互いの人生観や価値観を混ぜ合わせながら笑いを取る、とても楽しい時間だった。私の授業の調子なども興味深く聞いてくれたりもした。

ところで、先日まで中央軍司令官だったペトラエウス将軍、実は私と同じ、エンヤのファンであったことを聞いた。

研究論文が出版されます!

今後数ヶ月の予定が埋まってきた。来月の感謝祭の休みはサウスカロライナへドライブ。10年ぶりに母校に戻ってみようと思う。学生時代にお世話になった教授に会いたいし、大学のあるコロンビアの町並みがどれ程変わったのかもとても興味がある。そして12月の日本への帰国の切符も買った。今回は数週間の休みが取れたので久しぶりに実家でゆっくりしたい。

先月から始まった私の授業はその勢いが止まらない。先日は大学の上部の方が私の授業に来て、私のパフォーマンスを「観察」された。後日受けた評価報告ではもちろんいくつかの問題点も指摘されたが、何時間もかけて準備した甲斐もあったのか、極めて高く評価して頂いた。その報告書が上部に転送されるのを見届けて安心した。普段の授業だけでなく、この様に外部からのフィードバックも受けながら、少しずつ自分の居場所の確認をしつつ、軍事大学で教える自分のフィットを感じている。

そして最後に、今まで進めていた対反乱軍戦略(counterinsurgency)とマラヤ紛争に関する論文が、イギリスのある軍事系専門雑誌に合格したとの報を受けた。ここ数年、ずっと頑張って書いてきたこの論文、ついに成果が実ってとても嬉しい。この勢いを失うことなく、別に進めているプロジェクトも軌道に乗せたい。出版は来月の予定。その時にここでまた報告します。

フロリダの写真と爆撃機

先日フロリダで滞在したのは米軍関係者の保養地。ディズニーからも近く中の施設も完璧。朝食のバイキングが特によかった。
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基地に展示されている、Strategic Air Command (戦略航空軍団) 所属のB-52爆撃機。退役したのをそのまま置いてある。全景はこちら
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軍事大学で教えること

今週末、ついに風邪を引いてしまった。南部とはいえここでも季節の変わり目はあり、今までポロシャツで職場に行っていた毎日が突然長袖の生活に変化した。今回は旅行の疲れも溜まっていたのだろうか、先日始まった授業の重みに加え、ここ数ヶ月の間、新しい環境に慣れるべく無理をしてきた体に大きな負担がかかっていたのかも知れない。大切な時期にこんな風になってしまって少し辛い。

そんな事態にも関わらず、授業で求められる高い質のディマンドは変わらない。学部生を教えていた時は国際関係学や安保学のテキストに少しニュアンスを加えた形で生徒に伝えるだけで満足のゆく結果を残せた。一方で佐官を相手にする場合は、いくつかの専門的な論文集に網羅された情報をほぼ完全に読み込み授業にインプットするだけでなく、彼らの軍事的な専門、事務・戦闘経験、そして人生においての社会的経験全ての面を考慮し授業を組み立てる必要がある。同時に、相手に対する態度の面でも変化が必要であり、話す相手の社会的立場、将来の方向性、そして一般的に年上を敬う体制を整えることが必要になってくる。

もちろん私にも政治学・安全保障学でのしっかりとしたトレーニングがあり、それはここでも通用する。博士課程での授業に加えてスワモスやランドで得た知識と経験には助けられる。問題は、私が少しずつ高いレベルに移行する過程で、それらの外的・知的な要素がいかに全体的なマチュリティに貢献できるか、そしてその移行をいかに効果的に進めることができるかである。

幸い、同僚からの助けは信頼できるものであり、私の順応を促進する。そして同時に助かるのが、私を雇ったのも私に確固たる自信があったからと、口を揃えて同僚が言ってくれる事である。その期待を裏切らないようにしたい。

大学の授業が始まった

しばらく旅行をしていました。ジョージア、アラバマ、フロリダの「ディープ・サウス」各地を飛行機と車で。

旅行と並行して始まったのが大学の授業。週2度ほどのゼミのために毎回数時間費やして準備して、今までで最高レベルの授業を進めている。

私より10歳ほど年上の、15名ほどの戦争のプロと国際政治やアメリカの軍事戦略を2時間議論をするのは大変な苦労である。同時に、これほどやりがいのある仕事は初めてである。毎回学ぶことは多いし、回をこなす毎に自信も増すし、予想していた以上に良い経験になっている。国際安保に興味のある人間にとっては最高の舞台であるように感じる。

教授フォーラムでの講演

先日予告していた通り、今日は「教授フォーラム」が大学で開かれ、現在進めている研究論文を発表した。午後1時開始で発表者は私。会場には我が学部のメンバーのみならず隣の戦略・指揮学部に加えて戦闘学部からも教授陣が合計で30人ほど参加。熱気あふれる会場となった。

パワーポイントのスライドをふんだんに使った30分ほどの発表自体はいつも通り練習していたため無難にこなせたが、今回は質疑応答の時間に極めて難しい質問を連発され、返答に詰まることが多かった。同僚からの質問は社会的側面を考慮したフレンドリーな表現に包まれていたが、その内容は実に的を得た批判的なものが多かった。特に教授陣のほぼ半分を占める将校からの質問は想像していたのとはかなり違い、私は迷い、戸惑い、自分の納得の行く形での返事ができずに、1時間強で終わった発表会の後は、普段の自分からは珍しいほどにヘトヘトに疲れてしまった。

ふと、去年の同時期にノースカロライナで行った学会発表を思い出した。今読み返してみると当時は少し違った経験をしたようだが、いずれにせよあの時も苦労したのを覚えている。

ただし発表が終わり、参加者一人一人のオフィスを訪れ、彼らと言葉を交わしてみると、失敗したと思っていたのはどうやら私一人だけだったようである。同僚は皆揃って肯定的な感想を述べてくれ、発表の内容を刺激的に感じてくれたようである。私もこのような形で大学に貢献できたのを嬉しく思うし、非常に多くのフィードバックを得れ、頑張った甲斐があった。

そして特に嬉しかったのが、参加していた空軍の特殊作戦部隊の代表が、後ほど個人的に話しかけてくれて発表の内容を褒めてくれた事。本物を経験した人間にそう言われるのは、普段入りっぱなしのアカデミックの世界の殻から少し足を踏み出したような、貴重で楽しい瞬間だった。
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