2011年03月
タイはバンコク滞在で使ったホテルにて。タイ空軍本部へ向かう前にロビーに集合する生徒たち。
マレーシアはポート・ディクソンのPKOトレーニング・センターにて。
マレーシアのマラッカにて、マラッカ海峡を眺める。
フィリピンはマニラにて。有名なザンボアンガ・レストランでディナーショーを楽しむ生徒たち。
会議をホストして下さっていた相手の将軍とスタッフの大佐・中佐数名に大変な迷惑をかけてしまった他、航空隊本部の医務室を借りてベッドの上で薬を当てられ、うちのメディカル・チームに応急処置を受けるという、恥ずかしい経験をした。ずっとカメラのシャッターを切られている環境での出張だったが、この時だけは誰も私の写真は撮らなかった。
今は順調に回復している。
倒れたのが私一人だったのが幸い。そして何より何ひとつ不満を言わずにしっかりと私を助けてくれたスタッフに感謝したい。
この時期にこの状況で仕事に集中するのは容易なことではない。それでもここ数日はバンコクにて自分の任務をこなす日々が続く。
ある日はタイの空軍本部を訪れトップから現状と今後についてのブリーフィングを受け、基地を回った。タイ軍の最高研究機関を訪問した際には、我々側と相手側の間で極めてフランクで、正直な議論と質疑応答が繰り広げられた。相手側には日本出身の私の事はすでに伝わっており、3つ星の将軍の方から東北地方での災害に関して遺憾を意を直接伝えられた。バンコクでの移動の最中は我々のために交通規制をかけるほど良い扱いを受けている。
一方でタイの経済状況に関する別のブリーフィングでは中国の経済成長の意味合いについて、ここでも参加者内でヒートアップした議論が繰り広げられた。バンコクのアメリカ大使館を訪れた際には私が目の前にいるにも関わらずタイ国内の政治・軍事面での状況の詳細の説明を受け、ここでもトップの方が私のほうにアプローチをかけてくれ日本の災害被害者に関しての辛い思いを伝えてくれた。
東北地方での現状が一刻も早く回復し、原発の被害もこれから最小限に食い止めることができるよう、私個人も強く祈っている。
今回の事件でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、被害にあわれた全ての方々が一刻も早く回復できるようお祈りしております。
バンコクで出張中だが日本での現状が気になって仕事に集中するのが大変な状況。不安と時差ぼけで睡眠にも影響があるが、現地で苦しむ方々の苦労とは比べられない。日本政府のより中心的なリーダーシップを強く願うのと同時に、今後の状況の変化によっては関東地方全体の避難の必要を真剣に考えるべきだと思う。
今回の学会ではパネルのチェアも兼ねる。そして更に別の機会にパネリストとして論文も発表する。その内容は今までの全般的な国際安全保障とは違ってアフリカ地域の安全保障。博士論文で書いたダホーメイの章を洗練して完成させたものである。当日は国際関係学のジェネラリストが地域学のスペシャリストのグループからどのような反応を頂けるのかを楽しみにしている。
一方で今週から新しい授業が始まった。新しい文献のセットに合わせてスライドを用意をしているが、対象となる生徒は去年と同じ。私の授業を生き残った10数名のしっかり者はすでに私のペースも理解しているし、授業方法にも慣れている。
今日した授業の内容は多くの意味で物議を醸す性質を持ち、私も生徒からの反論を予想しての主張を幾つかした。この大学で教えてみて良い意味で驚くのは、生徒の多くが極めて多種に渡る経験を持ち、自分に反対する意見に直面しても広く受け入れ尊重する準備がしっかりとできている点がある。すでに世界各国にて任務を全うしてきた彼らにはいつも新しい見解を与えることができないのかも知れないが、それでも戦略のプロとしての礎をほぼ毎回欠かさず見せてくれる。
最初のトライから約3年、博士論文から派生した対反乱軍戦略の論文がようやく出版された。
http://www.informaworld.com/smpp/content~content=a934325290~db=all~jumptype=rss
この論文(と博士論文全体)のために何ヶ月も研究を続けたほか、遥か彼方のロンドンとマレーシアに足を運んで資料を集めた。何度も書き直して指導教官だけでなく友人数名にも感想をもらって質を向上させた。結果として努力とネットワークの重要性を学び、そして研究の楽しさを再確認することのできたいい経験だった。
一方で博士課程の受験のシーズンも終わりに近づき、私の卒業したプログラムも今年の合格者を出した。今回は例年よりも多くの合格者をキャンパスに呼ぶようだ。去年の cohort にも増して更にパワーアップした学部を作ることができればと思う。