Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士号取得→アメリカ空軍戦争大学勤務→現在はセントルイス大学の政治学部准教授及び国際関係学科主任。専門はサイバー、国際安全保障。航空自衛隊幹部学校客員研究員(2016-18)

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2012年11月

偶然

先日メールで来年の学会に招待された。場所はギリシャのテッサロニキ。旅費・宿泊費全て込み。喜んでいたのもほんの数秒。日にちはなんと私の海外出張のど真ん中。しぶしぶ断った。

最近のギリシャは政情・経済状態も不安定だが歴史的には重要な国で行ってみたい。昔テッサロニキ行きの電車はベオグラードで見たことがあった。

今年の Sexiest Man Alive は?

今年の Sexiest Man Alive は北朝鮮の金正恩…。

というオニオン紙の冗談を鵜呑みにしそれを記事にしてしまい、更にそれをワシントンポストに記事にされたのが中国の人民日報。

オニオンは政治風刺を多く含む、基本的には冗談を散りばめることによりエンターテイメント性を引き立てる人気新聞。記事によっては正確な事実の背景を元に冗談を作り上げる場合もあるため、確かに現実と取ってしまう場合も考えられるのだが、基本的にその内容を真剣に取る人間はいない。

一瞬、映画の Lost in Translation を思い出したが正確なアナロジーではない。外国語の翻訳の過程で生まれる誤解ではなく、オニオンという政治風刺に対する見方とそれに関する背景の知識の問題だった。

今年の感謝祭

今年の感謝祭は前年に続いて同僚のジーンの家でのパーティに参加。1年ぶりに会うジーンの大家族メンバーと挨拶を交わしてから、皆で手をつないで輪を作り、食事前のお祈りと感謝の言葉。その後は七面鳥やら芋料理やら大きなハムに加え、ピカン・パイを含む数々のデザートを取り昼食タイム。アメリカの伝統に深く浸る大切な日である。

その後は今度は南部の「伝統」とも言える(だろうか)お遊びを家の外で少々。自分の腕を鳴らす久々の経験だった。その後はドライブを兼ねて帰宅。

翌日は毎年恒例のブラック・フライデー。朝食をしっかり取った後は近くのモールに出かけてショッピング。私はそばのカフェで新聞読みながらリラックスしながら仕事をこなす。一通り見終わると決めてあった靴や洋服を購入して帰宅。

政治学者になる理由?

大学院受験シーズンであるこの時期、アメリカ政治学の博士課程の受験の相談を受けることがある。ほとんどの場合は幾つかのオプションの中からどのような判断を用いて決定すべきかに関するものが多く、私も親身になって真剣に考える。同時に、たまに大学院志望の「動機」の点でいくつかこちらで疑問に思うことがある。もちろん、このブログで最も大切なエントリーだと言ってもいい、

アメリカ政治学博士課程の受験の仕方

アメリカ政治学部での生活

ABDから卒業へ

で基本的なことは書いてあるのだが、今回は説明不足だと思われる点について2つ書きたい。

1.「将来は政治家になるために政治学の博士号が必要」という考え

政治学の博士課程では、修士課程以上に世界の政治事情を多角的、批判的、そして様々な手法を用いて研究するため、日本の政治を含む政治問題全般において幅広く同時に深い見解を得ることができ、政治家を希望する方にとって有益だと思われるトレーニングを得ることができるのは確かである。私の知っている(現在の)永田町関係者もかつては私の母校の政治学博士課程への入学を打診していたし、それはアメリカの他のプログラムでもほぼ毎年起きている現象だと感じられる。

ただ、世界中どの国の政治家のバックグラウンドを見れば明らかだが、「政治家になるために政治学の博士号が必要」との考え方は間違いである。博士号が必要でないばかりか、日本などでは有権者・政治ライバルからの妬みの面などで不利益に働いてしまうシナリオも容易に考えられる。

基本的に政治学の博士号の取得の目的は政治学を含む社会科学の知識の進歩に貢献すること、大学等の高等教育機関で教鞭につくこと、もしくは研究機関に所属し研究(学問や政策の分野含む)に勤しむことである。政治家のように国民を代表することも少なく、科学に基づく、より客観的な見解の普及のためには、逆に自国民に不利益だと思われる研究の発表をすることもある。

日本での政治家になるためには一般的に思われているように(1)公務員、(2)政治家秘書、(3)地方政治家、(4)法曹のルートが効果的ではなかろうか。日本の政治を見る限り、海外留学が必要だとは感じない。

2.「将来は日本で教えたいためにアメリカの政治学の博士号が必要」という考え

一般的に学問トレーニングの面ではアメリカの方が充実していると思われているため、日本の大学院を卒業するよりもアメリカから戻る場合の方が日本での就職がスムーズにいくだろうとの考えが自動的に生まれてしまう。それに追随して、ここ最近はアメリカ留学後に直接日本に戻りそのまま日本の大学等で教職・研究職につく博士号取得者が増えてきた。

だがそこで考えるべきことは、果たして日本に直帰することが彼らの第一の目的であったのか(海外での就職ができなかったため帰ってきたのではないか)ということと、果たして日本で教えるためにはアメリカのルートが必要か、ということである。

最初の質問の答えはその多くが個人的な話であるため、事実が個人によって歪曲されたり、事実と異なる形で伝えられる可能性が強く残るため、最終的に我々が正確に知る由もないのだが、アメリカ留学を考えている方にとっては重要な問題であるため、そのルートを選択された方々に直接話を聞き相談に乗ってもらうことをお薦めする。その場合、その方個人の家庭環境、経済環境、大学恩師との関係等様々な要素が混ざり合った背景が存在するため、単に海外での就職市場の力学のみがその人のキャリアを左右していると考えるべきではない。ただそれと同時に、日本人の研究者が海外でどれだけ競争できるかという問題に関してはしっかり情報を集めるべきだと思う。

私個人の考えでは、日本人研究者の力は現在のところ日本の研究をすることのみによって発揮されており(もちろん例外もある)、従って一方では日本研究の分野では周りからは厚い信頼を寄せられるのだが、アメリカの就職市場の動向を見る限り、日本研究に対する需要は極めて少なく、日本研究のみの研究者は強度の淘汰の危険に晒される。一方で、日本研究の分野から足を踏み出し、広義の国際関係学、日本のみではなく中国やインドなどを含む東アジア諸国の比較政治など、一国レベルではなく広い世界政治に直接貢献するトピックを選ぶことにより、海外での成功の可能性を高めることが出来ると思う。あまり深くは書かないが、今年のアメリカ政治学会で私が発表する予定だった論文は米中の戦略関係ものだったのだが、学会数日前には複数の出版会社から私に連絡が入り、その論文を本として出版するよう要請が入っていた。もちろん、私が過去に書いたように、我々が研究トピックを選ぶ際に最も重要な要素はその研究者の学問的興味であると思っているが、より戦略的に考える場合はサブトピックや対象国を選ぶ際に想像力と現実を見極める力が求められる。

ここでは2つ目の質問(「果たして日本で教えるためにはアメリカのルートが必要か」)がより大切である。学問の世界に所属する限りは、知識の進展とその拡散のために日本を含む国々に多くの研究成果を伝え、必要な場所では改革をし、その研究プログラムの更なる発展を遂げることを目的とすることを理想としているはずである。従ってアメリカの最先端の研究を日本に伝えるためにも、アメリカ留学経験者が日本に戻り研究に従事するという考え方に一般的には賛成する。

だが私の考えでは、日本で教えるためにアメリカのルートは必要ない。日本の比較的閉鎖的な(変化しつつあることは承知である)学問環境を考える場合、アメリカで上質のトレーニングを受け、いざ日本にそれを伝えるために戻るよりも、大学・大学院の段階から日本で自分の社会・研究環境を「整え」ながら、代々伝わる研究に自分の貢献を加えながら次の世代に伝えることにより、己の就職の機会を最大限にするという選択がより現実的に思われる。もちろん、アメリカ博士課程の卒業者が日本に戻り教職に就くというトレンドは今後も続くだろうが、私にとってはそれがその本人にとって最善の選択であるかは分かることはない。また、知識の進歩の面で本人が最も良い形で日本での学問に貢献できるというとも限らない。そのような背景を考えならが、私は「日本で教えたいためにアメリカの政治学の博士号が必要」という考えには否定的である。

秋の紅葉@マックスウェル空軍基地

今週最後の仕事日の帰りにたまたま気付いた。通勤で使う高速でも紅葉がちらほら見れる。最近は外を歩く時はジャケットも必要になってきた。

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軍隊から民間の世界へ

先日書いたぺトラエウス前長官に関するエントリーのフォローアップ。先週のニューズウィークの記事(David Petraeus Scandal: The Fall of a General)では、軍人が退役し民間の役所に入る場合の文化面での様々な問題を、今回のぺトラエウス将軍の経験を元に書いている。

階級制度が強く残る軍隊でトップを争いいつも脚光を浴びてきた歴史的将軍が、比較的平らな組織を持つCIAという民間の世界に入り、違う2つの世界を移行する場合に直面する問題を様々な角度から書いている、良い記事。両方の世界に興味を持つ方にはお薦め。


感謝祭の週

今日は自宅にて仕事。大きなプロジェクトの締め切りが迫っているので集中して終わらせたい。とは言っても今週は感謝祭の祝日。去年に続いて同僚のジーンの家でのパーティに招待されている。去年のは初めてのアメリカ南部の伝統や人々の暖かさ(俗に言う southern hospitality)を楽しむことができた。

来月のワシントン出張では4年前にお世話になったミシェルとラリーと2年ぶりに再会して夕食を一緒にすることになった。滞在中は学会に参加するのに加えてペンタゴンを回りつつプライベートの時間も楽しみたい。

Parov Stelar, Chambermaid Swing

ナイス

Parov Stelar, Chambermaid Swing

ATB - Beautiful Worlds

アジア・ピボットの論文

防衛研究所の高橋杉雄氏のアメリカのリバランス(ピボット)に関する論文が東京財団から出版された。

この重要な戦略的変化に関する日本語の論文でここまで書かれたのを読んだのは初めてだ。今後もこの種のアセスメントが増えることを望んでいる。一方で、この論文内では中国とアメリカの2国間関係が中心となっているため、あたかも中国の軍事増力が今回のピボットを引き起こしているとの印象を受ける。

私はこの見解には同意しない。中国の軍事力はピボットの背景の一つであろうが、それ一つというわけではないからである。アメリカ議会の報告書を読めば一目瞭然だが、中国というよりもアジア全体の重要性が今回の変化を引き起こしている。報告書の中には外交や経済面でのアジアとの協力を強調しているのに加えて、中国のみではなく東南アジア・太平洋諸国の重要性も注目している(特にフィリピン、オーストラリア、ベトナム、シンガポール)。この論文のソースの多くは国防総省から来ているようだが、今回のピボットは単に軍事的側面が中心となっているわけではない。事実、国務省などを含むアメリカの国防総省以外の役所からは非軍事面の要素を多く挙げている。従って、今回のピボットはこの論文で強調されているようなヘッジやシェイプやバランスなどのような行為のみが中心であるわけではなく、engage などの側面もあることを理解するべきだと思う。

このような見解は今年の8月、目黒の防衛研究所での授業の一環として発表した。また機会があれば別の形で私個人の見方を広めたい。

ピボットに関する私の別のエントリーは以下のページから。

揺れ動く世界情勢・東アジアへの戦略的ピボット

北東アジアのオープン・ハウス

日本・韓国出張の予定

3月の日本・韓国出張の骨格が決まってきた。韓国のもそうだが日本滞在中の予定はいい感じに仕上がってきている。作戦レベルの詳細はここではできないが、通例の官庁巡りや大使館訪問に加え、今年は初めて生徒を京都や鎌倉に連れて行き、日本の長い歴史や文化を見せ楽しむことができそうだ。生徒達と毎週ミーティングを重ね計画を練っているのだが、「カマクーラ」や「キヨウト」など、アメリカ人にとってはあまり慣れない発音の言葉をしっかり練習して私に聞かせてくれるその努力がまた嬉しい限りである。

このブログではあまり書かなかったようだが、去年の7月に少し時間を取り、京都と奈良を旅行した。今となれば出張の良い下見だったのかもしれない。現地では基本的に観光客に定番の場所を回ったのだが、嵐山は良かったし、清水、金閣、銀閣、二条城、三十三間堂も何度訪れても良い。出張中はできれば現地で和風の旅館に泊まり布団・京都料理・日本風呂の良さを経験させ、更には座禅も組ませてあげたい。
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