2014年06月
学会では最悪の体調にも関わらず仕事を無事に敢行。翌日は日本人の友人二人と会って昼食を共にした。楽しい時間を過ごす事ができ嬉しかった。その後は旧市街をゆっくり歩き、公園を巡り、国立美術館を訪れた。
翌日はエジンバラ城に入城した。午後一時の大砲発射のイベントにも間に合いスコットランドの歴史を楽しむことが出来た。
その後は友人お勧めの海鮮料理屋 Mussel Inn で夕食。ホタテやムール貝やチャウダーなどを楽しんだ。最後はスタバで休んでホテルに戻った。
翌日はエジンバラ城に入城した。午後一時の大砲発射のイベントにも間に合いスコットランドの歴史を楽しむことが出来た。
その後は友人お勧めの海鮮料理屋 Mussel Inn で夕食。ホタテやムール貝やチャウダーなどを楽しんだ。最後はスタバで休んでホテルに戻った。
我が学部は現在人事決定の真っ最中である。新しくできた教授のポジションを巡って今日、学部内の教授による大きな議論が繰り広げられた。そこで私は自分の意見を正直に言い、結果として上司に立ち向かった。
一般論だが、日本では言いたいことがあっても我慢をすることが美徳とされている。立場の低い人間にとっては特にそうである。そしてその我慢をしている自分を間接的に理解してもらうことにより自分の意思を伝える習慣がある。逆にアメリカは総じて自分の言いたいことは相手の顔を見てしっかり言うストレートな社会である。こそこそせず正々堂々と勝負をすることが美徳とされている。それができない人間には難しい社会である。
私はそれに従い、今日の教授会で自分の思うことをしっかり伝え、決まりかけていた一つの人事に徹底的に反抗した。相手は2人の(フル)教授で、こちらは1人の助教授である。私は「准」教授でさえもない。日本の大学でそれをしたらどうなっていただろうか。翌日からその教授からパワハラを受け、私と友好関係にあった他の助教授もプレッシャーに押され友好関係を止めていたかも知れない。私が時間をおいて辞任をさせられるような環境が少しずつ出来上がっていたかも知れない。
かくして今日の教授会の議論は強烈なものであった。1時間半に渡り一人の人事で、対する「サポート」側と私の「反対」側で押し合いが続けられた。結果としてはそれまで懐疑的であった他の教授を少し説得することができたのだろうか、私が望んでいた方向で話が進み始めた。ここ数日の間はこの人事の問題で珍しくストレスがたまり、このブログを更新するような気分にもならず、学部内の人間関係も少し懸念し、今回取る自分の行動が果たして正しいものなのかを考えさせられた。
私のような小さな助教授の反論を真摯に受け止め、真剣に議論をしてくれた上司には感謝している。また、私のような小さな助教授でも正々堂々を上司に立ち向かえるような環境で仕事ができて嬉しい。そしてできるだけフェアな議論ができるよう、そのような環境を維持してくれた学部長にも感謝している。
ただここで大切なのは、それが当然であることを理解し、今後も自然に振る舞うことである。ランクの違いはあえど上司は私をほぼ平等の同僚として扱い議論に立ち向かう。そしてそれは私も同様である。お互いの主張に弱点があればそこを突き議論を優位にしようとする。もちろん、普段からお互いをリスペクトして扱っているため、そう簡単には壊れないある種の友好関係も存在する。そしてそれがこの種の強烈な議論を可能にさせる。
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アメリカにおける日本人コミュニティの多くはその文化的遺産を反映してか、アメリカ社会や政治の世界で大きく主張をすることがほとんどない。英語力も特に浸透していないし、他のアジア人に議論で負けることも多々ある。ここ数か月の大体的な韓国ロビーに見られるように、多くの面で、損をしていると感じている。そして日本人は必要な時でさえも強く主張をすることのない民族だとの一定のイメージも存在する。まさに、我々の先代には戦わない日本人がほとんどであると思う。
今後これは変えるべきだと思う。文化を変え、社会を変え、政治を変えるのは時間がかかり、そう簡単なことではない。ただ今後生きてゆくうちは大切なことだと思う。
一般論だが、日本では言いたいことがあっても我慢をすることが美徳とされている。立場の低い人間にとっては特にそうである。そしてその我慢をしている自分を間接的に理解してもらうことにより自分の意思を伝える習慣がある。逆にアメリカは総じて自分の言いたいことは相手の顔を見てしっかり言うストレートな社会である。こそこそせず正々堂々と勝負をすることが美徳とされている。それができない人間には難しい社会である。
私はそれに従い、今日の教授会で自分の思うことをしっかり伝え、決まりかけていた一つの人事に徹底的に反抗した。相手は2人の(フル)教授で、こちらは1人の助教授である。私は「准」教授でさえもない。日本の大学でそれをしたらどうなっていただろうか。翌日からその教授からパワハラを受け、私と友好関係にあった他の助教授もプレッシャーに押され友好関係を止めていたかも知れない。私が時間をおいて辞任をさせられるような環境が少しずつ出来上がっていたかも知れない。
かくして今日の教授会の議論は強烈なものであった。1時間半に渡り一人の人事で、対する「サポート」側と私の「反対」側で押し合いが続けられた。結果としてはそれまで懐疑的であった他の教授を少し説得することができたのだろうか、私が望んでいた方向で話が進み始めた。ここ数日の間はこの人事の問題で珍しくストレスがたまり、このブログを更新するような気分にもならず、学部内の人間関係も少し懸念し、今回取る自分の行動が果たして正しいものなのかを考えさせられた。
私のような小さな助教授の反論を真摯に受け止め、真剣に議論をしてくれた上司には感謝している。また、私のような小さな助教授でも正々堂々を上司に立ち向かえるような環境で仕事ができて嬉しい。そしてできるだけフェアな議論ができるよう、そのような環境を維持してくれた学部長にも感謝している。
ただここで大切なのは、それが当然であることを理解し、今後も自然に振る舞うことである。ランクの違いはあえど上司は私をほぼ平等の同僚として扱い議論に立ち向かう。そしてそれは私も同様である。お互いの主張に弱点があればそこを突き議論を優位にしようとする。もちろん、普段からお互いをリスペクトして扱っているため、そう簡単には壊れないある種の友好関係も存在する。そしてそれがこの種の強烈な議論を可能にさせる。
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アメリカにおける日本人コミュニティの多くはその文化的遺産を反映してか、アメリカ社会や政治の世界で大きく主張をすることがほとんどない。英語力も特に浸透していないし、他のアジア人に議論で負けることも多々ある。ここ数か月の大体的な韓国ロビーに見られるように、多くの面で、損をしていると感じている。そして日本人は必要な時でさえも強く主張をすることのない民族だとの一定のイメージも存在する。まさに、我々の先代には戦わない日本人がほとんどであると思う。
今後これは変えるべきだと思う。文化を変え、社会を変え、政治を変えるのは時間がかかり、そう簡単なことではない。ただ今後生きてゆくうちは大切なことだと思う。
ジャパン・ビジネス・プレスにて拙稿が掲載されました。
米中に分割される東南アジアで日本が入り込む隙間
今回は東南アジアでの日本の影響力と中国の台頭などについて書きました。東南アジアがどのように分割され統治されるのか、そして日本に求められるソフトパワーとハードパワーをどう使うかについても述べました。興味のある方はどうぞ。
米中に分割される東南アジアで日本が入り込む隙間
今回は東南アジアでの日本の影響力と中国の台頭などについて書きました。東南アジアがどのように分割され統治されるのか、そして日本に求められるソフトパワーとハードパワーをどう使うかについても述べました。興味のある方はどうぞ。
先月ハワイのCSISから連絡があり、新しいニュースレターの初版に載ることになった。それが先週末送られてきた。
http://issuu.com/ylpacforum/docs/yl_newsletter_final_online
ここに掲載されている私の顔写真は個人的に気に入っているものなので満足しているのだが、それを今家族に言ったら爆笑された。ちなみに10年前の写真。今も大して変わってません。
http://issuu.com/ylpacforum/docs/yl_newsletter_final_online
ここに掲載されている私の顔写真は個人的に気に入っているものなので満足しているのだが、それを今家族に言ったら爆笑された。ちなみに10年前の写真。
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