我々がフィリピンの安全保障を考える際にまず思いつくのは東シナ海の情勢で、中国の海洋進出に対抗するフィリピン、そしてアメリカの役割がある。
しかしフィリピンの内政を見ると別の力学があることに気づく。私がここ数年でしている研究の一つにフィリピン国内の反乱軍問題があり、数年前にマニラを訪れた際、現地調査を行った。
エリートを輩出し続けてきたフィリピン大学のディリマン校に籍を置いたが、そこでは、フィリピン共産運動とアメリカに対する面白い見方を見ることができた。
フィリピン大学正門。
キャンパスの学生センターのビルの壁の落書き。革命を唱えている。NPAはフィリピン共産党の軍事組織である、新人民軍を意味する。
「アメリカの帝国主義を潰せ!」とフィリピン学生リーグが叫ぶ。学生センターの入り口にて。
再び新人民軍のプロパガンダ。
フィリピン大学の国際関係学センターで見つけた、東日本大震災後の日本を応援する垂れ幕。震災の直後に東南アジアを回っていたが、日本への支持は至る所で見られた。私は米軍の一部としての出張だったが、例えばフィリピン軍の国防大学などでは日本人として哀悼の言葉を受け取った。
2015年11月
フィリピンで10年ぶりに戦闘機が配備されるとの記事を見た。フィリピンには仕事で何度か訪れ、国防大学からアメリカ大使館、フィリピン大学からクラーク基地まで数週間に渡って訪れた。
そのクラーク基地はというと、空軍戦争大学の当時の生徒を連れて訪問した2011年3月には既に大幅に商業化されており、航空系企業が滑走路を使っていた(写真はその代表と空軍戦争大学一行)。もちろん軍用機のヘリコプターも飛んでおり、我々もツアーで基地内を色々見せてもらった。
それが多少なりとも変わるのだろう。中国の南シナ海への進出が始まり既に数年、もっと早く配備すべきだったし(資源不足やパイロットの養成不足などが主な理由)、これからもっと必要になるだろうと感じる。ちなみにアメリカの空軍戦争大学にはフィリピン空軍から毎年大佐の代表が送られてくる。私が教えていた「アジア回帰」の授業を毎年取ってくれていたので交流がある。
そのクラーク基地はというと、空軍戦争大学の当時の生徒を連れて訪問した2011年3月には既に大幅に商業化されており、航空系企業が滑走路を使っていた(写真はその代表と空軍戦争大学一行)。もちろん軍用機のヘリコプターも飛んでおり、我々もツアーで基地内を色々見せてもらった。
それが多少なりとも変わるのだろう。中国の南シナ海への進出が始まり既に数年、もっと早く配備すべきだったし(資源不足やパイロットの養成不足などが主な理由)、これからもっと必要になるだろうと感じる。ちなみにアメリカの空軍戦争大学にはフィリピン空軍から毎年大佐の代表が送られてくる。私が教えていた「アジア回帰」の授業を毎年取ってくれていたので交流がある。
メイシーズが主催するニューヨークのパレードには及ばずも、ここセントルイスでは毎年感謝祭のパレードが行われる。去年のこの時期はファーガソンの暴動と重なり中止されたため、2年ぶりの開催となった。我々にとってはもちろん初めてのパレードである。
セントルイスのシンボルを背景に。これが主催者のアメレンという電気会社のマスコット。ちゃんと電球が付いている。
まさにサンクスギビングの七面鳥。
地元の高校のバンドによるショー。
United Service Organization と呼ばれる米軍人とその家族に様々なプログラムを用意する組織。街中や主要空港などにオフィスを設けている。私もサンフランシスコ空港で時間があったとき、施設を使った。
左の建物がセントルイスの鉄道駅。
セントルイスのシンボルを背景に。これが主催者のアメレンという電気会社のマスコット。ちゃんと電球が付いている。
まさにサンクスギビングの七面鳥。
地元の高校のバンドによるショー。
United Service Organization と呼ばれる米軍人とその家族に様々なプログラムを用意する組織。街中や主要空港などにオフィスを設けている。私もサンフランシスコ空港で時間があったとき、施設を使った。
左の建物がセントルイスの鉄道駅。
まさにこのタイミング、という感じのネタだが、状況が向上するよう祈りと共に。
私が数ヶ月前まで勤務していた米軍の教育機関と、アメリカの一般の私立大学を比較すると面白い。今日は教授の呼び方。
ここ数ヶ月のうちに気付いたのは、今のセントルイス大学の生徒は私を呼ぶときに、
「プロフェッサーカタギリ」
と、頑張って発音するか、メールなどでは単に「プロフェッサー」として書いてくる。構内を歩いているときに私の授業を取っている生徒は私の苗字をしっかり発音しようとする。
一方で米軍では至る所で
「ドクターカタギリ」
だった。プロフェッサーと呼んでくるのはほとんどいなかった。また、彼らにとっては日本語の苗字が読みにくい・発音しづらいため、「サー」、「ドクターK」、もしくは単に「ドクター」と省略して呼んでくる佐官も多かった。
ここ数ヶ月のうちに気付いたのは、今のセントルイス大学の生徒は私を呼ぶときに、
「プロフェッサーカタギリ」
と、頑張って発音するか、メールなどでは単に「プロフェッサー」として書いてくる。構内を歩いているときに私の授業を取っている生徒は私の苗字をしっかり発音しようとする。
一方で米軍では至る所で
「ドクターカタギリ」
だった。プロフェッサーと呼んでくるのはほとんどいなかった。また、彼らにとっては日本語の苗字が読みにくい・発音しづらいため、「サー」、「ドクターK」、もしくは単に「ドクター」と省略して呼んでくる佐官も多かった。
ランド研究所での夏季研究職の知らせが届いた。2008年に私も従事したポジションだ。
博士候補で安全保障に興味を持つ人は国籍問わず応募できる。もともと空爆や核戦略で1960年代から名を馳せたこの機関は基本的に安全保障問題を中心にしている。私のポジションも安全保障で、アフガニスタン・パキスタン地域における対テロ戦争の一環としての戦略コミュニケーションを研究し、発表した。
一方で私の同期は必ずしも安全保障や政治学というわけではなく、数学者、歴史学者、政策研究者も一緒に仕事をしていた。また、この仕事を経て、博士課程卒業後にそのままランド研究所で勤務をし始めた友人も何人かいる。
博士論文の質を向上させるにも、研究の幅を広げるにも、また、ネットワークをするにもとても良い機会なので、興味のある方はぜひ挑戦して欲しい。
博士候補で安全保障に興味を持つ人は国籍問わず応募できる。もともと空爆や核戦略で1960年代から名を馳せたこの機関は基本的に安全保障問題を中心にしている。私のポジションも安全保障で、アフガニスタン・パキスタン地域における対テロ戦争の一環としての戦略コミュニケーションを研究し、発表した。
一方で私の同期は必ずしも安全保障や政治学というわけではなく、数学者、歴史学者、政策研究者も一緒に仕事をしていた。また、この仕事を経て、博士課程卒業後にそのままランド研究所で勤務をし始めた友人も何人かいる。
博士論文の質を向上させるにも、研究の幅を広げるにも、また、ネットワークをするにもとても良い機会なので、興味のある方はぜひ挑戦して欲しい。
金曜日、仕事の終わりに少し寄ったのが、大学近くの喫茶店 Cafe Ventana。
入ってみると粋なインテリアで満ちていた。こちらはカフェオレとベニエのセットを購入し、席について楽しんだ。今年2月のニューオーリンズ以来のベニエだったが、ミズーリのこんなところでもサーブしていた。
周りの人は学生半分、教員・スタッフ半分くらいだろうか。女性がほとんどだった。静かで仕事をするにも話をするにも良い場所だった。また行こうと思う。
入ってみると粋なインテリアで満ちていた。こちらはカフェオレとベニエのセットを購入し、席について楽しんだ。今年2月のニューオーリンズ以来のベニエだったが、ミズーリのこんなところでもサーブしていた。
周りの人は学生半分、教員・スタッフ半分くらいだろうか。女性がほとんどだった。静かで仕事をするにも話をするにも良い場所だった。また行こうと思う。
昨晩はセントルイスのイタリア料理に挑戦。今回行ったのはクレーブ・コア地域に位置する Il Bel Lago。ラビオリ、サラダなどの前菜の後にロブスターと子牛肉のグリルを頼んだ。イタリアの赤ワインも美味しくスムーズに入った。非常に満足して帰途に着いた。
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