Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士課程を卒業し、アメリカ空軍戦争大学で教鞭を取った後、アメリカ中西部のセントルイス大学の政治学部で教えています。国際関係学、安全保障、東アジアの政治学を担当しています。ここ数年は日本の軍事力と文明間の紛争の研究を進めています。 このブログでの意見と表現はあくまで著者個人のものであり、必ずしも関係機関の政策を反映するものではございません。

2016年07月

シュウェダゴン寺院にて@ヤンゴン

ヤンゴンの観光地メッカといえばここ、シュウェダゴン寺院である。

南口から入った。そこから見るとこんな感じである。

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外国人用の入り口から入り、長い階段を上った。境内にも関わらず、その廊下の両脇には多くの土産屋がひしめいている。

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入場料を払い、寺院に入る。上を見渡すと小さな壁画が多く飾られている。

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そして100メートルのパゴダが我々を迎える。この手前にあるのは水曜日に生まれた人のための「コーナー」で、そこにある仏像に水をかけて洗うことができる。私は水曜日に生まれた。その日は仏陀が生まれた、めでたい日であることをそこで教わった。私の両親に感謝である。

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このパゴダは360度全ての角度から見ることができる。平日の午前中にも関わらず、多くの若者がここで祈りを捧げている。女性も外出用のバッグを持っていることから、この後に職場に向かうのかもしれない。

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内部には多くの仏陀が置いてあり、その前で多くの人が正座し、祈る。私もそこに上り、数十分過ごした。

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ヤンゴンからネピドーまでのバスの旅

ヤンゴンから首都ネピドーまではバスで約5時間。ヤンゴン・マンダレー間の高速道路を最高100キロのスピードで進む。普段アメリカで120キロを出して通勤する私にとっては遅く感じる。仕方ない、ミャンマーのインフラはまだ不完全で、高速道路も事実上ガタガタ道なのである。

ヤンゴンの最大バス・ターミナルまで市内中心部から1時間はかかる。タクシーの運賃は15000キャット(ミャンマーの通過)はかかり、大体1300円である。ヤンゴンからネピドーまでの長距離バスは片道800円ほどであるから、ヤンゴン内の移動の方が実は高くつくのである。

今回は私のバスは8時出発だったため、起床は午前5時。ホテル出発は6時。バス・ターミナル到着は7時。

下の写真はヤンゴンの最大バス・ターミナルにて。ここに入るタクシーには駐車料金のようなものがかかるのか、入り口付近で若いにーちゃんが10人ほどタクシーを待っており、入ってくるタクシーの運転手に金をたかる。しばらくその様子を見ていると、そのたかりを無視して無理やり入場するタクシーやバイクもいる。負けじと追いかける数人の若者達。それが彼らの仕事なのである。貧困レベルは凄まじい。辺りには異臭が漂う。

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ミャンマーにはこのような日本製の中古車が蔓延している。その多くがまだ日本語表記の残っているものである。

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今回のバス旅行は予めネットで自分の席を予約しておいた。当日のバスは満員だったためそうして正解だったと思う。バス会社の店でチェックインを行うと、目の前にある暗い待合室に通される。私の周りにはハエがたかり、僧侶と子供僧が3分おきに金を求めて来る。これが1時間ほど続いた。

今回乗ったバスがこれである。ネットでは綺麗でスペースの広いシートの写真を掲載しているが、実際乗ってみるとより狭く、汚い。出発すると同時にミャンマー語の演歌がテープで流される。大音量である。北ベトナムと同じである。耳栓が無いと眠れない。

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ネピドーまでの高速道路は一本道が続く。淡々とした林、森、村が5時間続く。村落には電気が通ってないものもある。家は木で出来ており、高床式である。高床式を見たのはディエンビエンフーに向かうバス以来だった。

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午前11時、30分間の昼食休憩のためにサービス・エリアに駐車した。他の乗客は食堂に足を運ぶ。ベトナムでは痛いレッスンを習っているため、私は現地のものには手を出さず、予め買っておいたジャムパン2個を食べた。

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サービス・エリアにあった売店で。

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ドリアン禁止のサイン。

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ヤンゴンへの帰りのバスの内装はこんな感じ。仏陀や寺院の写真が多く張ってある。

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途中で10分ほど休憩。私は外には出なかった。

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ミャンマー陸軍大佐と会談@ネピドー

首都ネピドーにはバスで入った。バスでの旅も中々ワイルドなもので、沢山写真を撮った。明日幾つか掲載しようと思う。

ネピドーでの最大の目的であった国防省幹部との会談は成功を収めた。ワシントンのミャンマー大使に依頼の手紙を送り、最終的にはミャンマー大使館、ネピドーの外務省、そして国防省を通してセットアップをした。別件はあるが、この件は全て自分で行った。

首都のネピドーに入り一番最初に気付くのは、この街には観光業が皆無であるということである。土産屋も無かった。訪問者が少ないので、3レーンからなるこの道路も明らかに規格外で、車もバイクもほとんど通らない。この街に要のない人間は絶望感に似たような感情を持つかもしれない。

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ネピドーではヒルトンに泊まった。何もない街に点在するホテル郡の中にある、オアシスのような場所である。

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ホテルのレストラン。ホテルの近くには娯楽施設も食事場所も無いため、滞在者のほとんどがこのホテル内で食事することになる。私も朝も夜もここで取った。これは5時ごろの夕食時で、私の他には誰もいなかった。

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ミャンマーでは至る所で宗教的なシンボルが置いてある。上のレストランにある鈴もそうだが、私が泊まった簾の入り口でもこれが迎えてくれる。

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私が泊まった部屋には鈴は無かった。

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翌日は国防省に出かけた。ネピドーの政治の場所から少し北に位置しており、タクシーを飛ばして30分ほど。入り口では特にIDのチェックもせず(大きな問題)、私が乗ったタクシーの点検もせず入省し、森の中を走った。この写真は途中で見かけた国軍のシンボル。

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10分ほど走ると目的地に到着し、一階建ての建物に入った。そこで通された私の会談場所はここ。

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私を迎えてくれたのはミャンマー陸軍で教育とトレーニングを担当する大佐。インド国防大学で留学経験も持ち、そこでは海上自衛隊の2佐と仲が良かったようだ。通訳を通して行われた話の内容は内政からアセアン、外交、日本への考えなど多岐に渡った。彼が思うに、日本は憲法を改正し、ミャンマーとより近く動ければ、というものだった。彼からは多くの資料を受け取った。ネット上や他の場所では絶対に得られない、研究で使えること間違い無しである。会談時間は1時間。

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その後少し時間があったので、ネピドーで一番有名なパゴダ、ウッパタサンティ・パゴダを訪れた。パゴダは小さな山の頂上にある形で、そこまではエレベーターに乗ってゆくことができる。観光で訪れているのは私だけで、他の訪問者は全て崇拝のために訪れていた。この写真はエレベーターを降りた頂上から見るネピドーである。

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パゴダ。高さ99メートルあるらしい。素晴らしい。

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上の写真の右にある入り口から、パゴダの内部に入ってみる。荘厳な空気で満ちている。ここでのルールに従って、裸足で前に進む。

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お祈りをする訪問者。中心のお坊さんの周りは電飾で飾られている。これはヤンゴンのパゴダでも行われている。そして右下の「男性のみ」の表記に注目。女性は一歩下がった、一段低い場所でお祈りすることになる。

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外に出て、裸足のために日光で暑くなった地面を火傷しながら歩くと、様々なシンボルに出会える。その中の一つがこれ。

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ミャンマー議会の前の通りは、合計20レーンあることで有名である。これがその模様。ちなみにこの写真にもあるように、こちらのタクシーのほとんどに仏像のレプリカが置いてある。たまにこれがゆっくり回転しているものもある。

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遠くから見るミャンマー議会。

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北朝鮮レストランに潜入@ヤンゴン

ミャンマーのヤンゴンにある北朝鮮レストランに行ってきた。滞在したホテルからタクシーで20分。韓国・朝鮮人コミュニティ近くに位置する。

入店したのは午後7時半。目的だったディナーショーは8時から開始とのことである。レストランの中に入ってみると少し薄暗く、男性のウェイターは誰一人いない。そう、アテンドするのは全員若い女性のウェイトレスである。

私が日本人だと分かると、ウェイトレスは日本語に切り替えてくる。北朝鮮の大学で習ったのかと聞くと、そうではなく、このレストランには日本人客が多く来るようで、彼らから学んだのだと言う。ちなみにウェイトレスの一人は23歳でロシア語を話した。ヤンゴン入りして半年だという。

写真撮影はディナーショー、料理、そして客だけに限られており、ウェイトレスを撮る事はできない。一度不意を突いてウェイトレスの一人を含む写真を撮ろうとしたら、別のウェイトレスが走ってきて止められた。また、ビデオ撮影も禁止されている。

メニューを選ぶ際、私にアテンドしたウェイトレスに北朝鮮から輸入されているものを尋ねると、このキノコ料理を勧めてきた。キノコの普通の炒め物である。手前の塩を付けて食べると美味しい。

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左が北朝鮮の冷麺、右が野菜の炒め物。

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ディナーショーが始まった。最初から日本語の歌を歌って飛ばしてくれる。こっちもノリノリである。ちなみに客の中には日本人グループが、現地のミャンマー人たちと一緒に来ていた。

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独特の民族衣装、チマチョゴリを着ての熱唱。ちなみに少なくとも半分以上の「歌手」は口パクだったと感じた。ただそれはあまり関係なく楽しむことができる。

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今度は洋服に着替えてのダンス。のりもノリノリである。

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最後の一曲はロック。ドラムは本物で、メチャクチャ叩いていた。これが終わるとすぐに夕食モードに戻り、ついさっきまで歌っていた彼女らはウェイトレスの服装に着替え、サーブを再会する。私はその後すぐに料金を支払い、タクシーでホテルに戻った。

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ヤンゴン中心部@ミャンマー

シンガポール滞在を経て、ミャンマーに入国した。日本との時差は2時間「半」である。1時間ではなく30分が単位の時差の場所はここが初めてである。

今回は大都市ヤンゴンの写真を掲載する。

この街は仏教とイスラム教が共存する街で、そのミックスを市内至る所で見ることができる。5分も歩けばまた別のサイズのパゴダ、そしてその後はモスクが出現する。しかしパターン化はされておらず、以外な所にモスクがあったりもする。

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ヤンゴン駅近くにある歩道橋から西に向かって見た模様。一見普通に見える大通りも、その中に入ってみると全く違う世界が繰り広げられる。幸い、街行く99%の人は私の顔を見ても現地人と思い何も言ってこなかったが、それはおそらく私の服装にもあっただろう。今回は地元に溶け込めるよう、多少汚れたTシャツとカーキ色の半ズボンを履いていた。私が歩いた場所を考えれば、正しい選択だった。

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都市部の貧困レベルは凄まじいものがあり、先日のインドネシアのレベルではない。ありとあらゆる生活感を感じることができるものの、治安面の不安が多く残っている。この街の治安はまだ検証していないが、ガイドブックなどを読むと一般的に良いと表現されている。今はそうかもしれないが、近い将来はそう思えないというのが私の感想である。アジアにおける次のバングラディッシュはヤンゴンかもしれない。ヤンゴンの中心部、特にスーレー・パゴダ以西を一般人に混ざって歩くときは最高レベルの警戒が必要である。

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ちなみにこのような所はまだマシな部分である。狭い脇道に足を踏み入れると極めてハードコアな状況を目にすることができる。歩くと写真に収めたい衝動に駆られるが、前述した治安の不安が払拭できないため、カメラは出さない。

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数あるモスクの一つ。地域では仏教徒とイスラム教徒が隣り合わせで生活している。

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写真だけでは伝わらないが、実際に歩いてみると全く別の雰囲気を感じる。

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さばいたばかりの鶏肉を運送中。衛生観念は低い。今までずっとこうして生活してきたのだろう。

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鉄道好きの私にとっては避けられない目的地の一つ、ヤンゴン国鉄駅である。

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