このブログの目的は複数あり、その中には例えば私のような国際政治学者を夢見る者を勇気付けながら後押しすることがある。また同時に、真剣に研究を重ねその結果をを信じ、それがたとえ少数派の意見となる場合でも、勇気を持ってそれを表現するよう励ますこともある。今まで成功した人生を送ってきた人の多くは必ずそのような経験をしている。自分を信じるのである。少数派になることを恐れてはいけない。

私は、日本人のレンズで来年の米大統領選挙を見る場合、民主党の政権、特にヒラリー候補を応援している。少し日米関係をかじった日本人の間では、一般的に民主党、そしてヒラリー候補は評判が悪い。理解できよう。ヒラリー氏は夫がそうであったように日本に対し「敵対的」で、日本よりも中国寄りである(参照:ヒラリーの最新論文、Security and Opportunity for the Twenty-first Century)。日米関係に「ひび」が入ってしまう。アメリカに「嫌われれば」国際社会から「孤立」する。大多数の意見は、ブッシュ大統領が代表する保守派政権に傾くのである。私の意見は少数派である。

だたこれらの逆を言えば、日本は独立するのである。このことはいずれ真面目な論文に書いてみたいと思っているが、アメリカが日本から「離れる」場合、日本は国際社会(と呼ばれる意味不明なもの)から「孤立」し、嫌でも自分で外交の舵を取らなくてはならない。それは日本にとってプラスとして見るべきである。というよりも、世界のシステムから見る場合、一つの国民国家としてそれは当然のことなのである。

もちろん、ヒラリー候補の政策にも問題はある。例えば、彼女のイラク戦争開戦への賛成票を投じた事(アメリカの多くのリベラル左派にとっては問題だが、皮肉にもイラク戦争への追随外交に必死な日本政府にとっては喜ばしい事)、アメリカ社会を「分割」してしまうその強い人格とリーダーシップなどが一般的に挙げられる。ただ同時に、アメリカ初の女性大統領として期待できる点も挙げられる。イラク戦争からの撤退、アメリカ外交政策の「平和化」(性別と攻撃性の相関関係のデータがあれば私はそれに対して非常にオープンである)などがあり、そして日本から見る場合は、日本の外交・安保面での独立が挙げられる。

日本は国際社会から孤立する事を恐れてはいけない。そもそもその「孤立」という言葉の定義をし、それが日本の外交にどのような影響を与えかねないか、真剣に考えるべきである。日本の孤立は日本を強くする。現行の日米安保の傘の下で守られて立派な一国として振舞うことのできない日本が、その国際地位の低下を嘆くのは正直アホらしい。自国の招いた当然の結果なのである。