f927d5d5.jpg
週末を通して徹底的にイラク戦争についての書物を読む機会があった。自分の今までの理解の幅よりも広く議論が進んでいる事に気づく。5冊ほど同時に目を通しながら現状の理解のために、自分の知らない部分のパズルを埋める作業が続く。

執筆も同時に進めているため、博士論文の最終章は既に20?ほど埋まっている。同時に、私が博士論文の中で用いている理論とは距離があるため、その距離を利用しつつ、今後の政治学にどう貢献できるか考えている。

当時の小泉政権がその必要性を疑うことなく一方的に支持したこのイラク戦争、ブッシュ政権の間違った政策がなければ私が研究のネタとして学ぶことはなかったろう。数えられるだけでも数万人の犠牲者が出る事もなかった。何億にも上る我々の血税も(恐らく)より賢く使われていた。中東がこれほどまでに不安定視されることもなく、南アジアでの戦争も今よりも縮小化されていただろう。

2003年3月の開戦の直前、アメリカの政治学者のほとんど(国際関係学専門家も含む)がイラク戦争に反対し、署名活動を行い、ブッシュ政権に戦争の回避を促した。一方で日本の反対運動でまともにみれたのは、外交官を含む実質的な力のない数人の役人と、少数の「知識人」「文化人」などと呼ばれる政治学者でもない方々だけであった。

アメリカでは戦争を支持した保守層の政治家の多くが選挙にて罰せられ、ブッシュに負けたケリー元大統領候補もその支持力を失った。ラムズフェルド、ウォルフォウィッツ、テネット、そしてパウエルでさえも一定の失政を自らの撤退により、もしくは自ずとして認めている。一方で日本では戦争を支持した自民党は与党としての地位を維持し続け、イラク戦争の必要性、そして日本の海外貢献を疑うことなく、その外交政策が対米追随の概念を中心として練られている。多くのことが疑問として残っている。日本が参戦から得られるはずだった利益は一体何なのだろうか。日本のように戦争に直接参加しない「参戦」に対する世界からの評価はどのような性質なのだろうか。そしてそれらを検証せずにどうして、日本の政策が正しかったと一方的に仮定することができるのだろうか。

私の専門上、このような疑問を深く研究して発表する機会は恐らくないだろうが、イラク戦争を学ぶ課程にあって、そんな考えが止まらない。

これ聴いてみ↓
-----
Sash! Megamix
http://www.youtube.com/watch?v=jmpBFBDtW3c&NR=1&feature=fvwp

-----
イメージ:
http://www.btlonline.org/2007/i/troopsurge081707.jpg