先ほど、ベトナムはディエン・ビエン・フーへの2泊の旅行から帰ってきた。何十枚もの写真を載せずに日記を書くのは少し躊躇うが、今は記憶が残っているうちに記録しておきたい。アルバムはアメリカに戻ってから掲載します。

私の人生の中でも最も印象的な旅行のひとつになった。とても感動した。

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日曜日午前4時、起床。泊まっていたホテルを5時にチェックアウトして、長距離バスの発着場所まで闇夜のハノイをタクシーで飛ばす。約15分で到着、このバス停ではもはや英語もフランス語も通じない。切符売り場でさえもね。私に声をかけてきたおっさんにディエン・ビエン・フーと述べるとそのバスまで連れて行ってくれた。バスの運転手に行き先を告げると旅費を請求される。235,000ドン、日本円で約1200円である。明け方の6時、出発。以下、主要停車場所の時間を記録しておいた。

06時00分:ハノイ(Ha Noi)発
07時45分:ホア・ビン(Hoa Binh)停車
11時45分:昼食停車(30分間)
12時50分:ソン・ラ(Son La)停車
15時00分:Tuan Giao 停車
17時10分:ディエン・ビエン・フー(Dien Bien Phu)着

往路を飛行機ではなくバスにした理由は、その途中にあるベトナム高地では絶景が続くと読んだからである。そしてそれを信じて11時間のバスに乗ったのは正解だった。このバスでは出発地点からすでに満席で、体をまともに動かすスペースもない。隣に座った男性は行商人の様子で、パンの詰まった大きなビニール袋を2つ、椅子の下に置いた。彼が持っていたスープのパックからは極度の異臭が感じられ、出発から数時間の間苦しんだ。ただそれも全て経験。このバスは禁煙だったが、運転中はほぼ永続的にDVDのカラオケを大音量でかけ流し(従って乗客は眠れない)、バイク一台追い越すたびにクラクションを鳴らしまくる。そんな状態が11時間、延々に続いたのである。

昼食は30分ほど、小さな村にあるバス停に止まり乗客の多くは飯屋で麺類を食べていたが、私には合わないだろうと早々と諦め、前日に緊急のために買っておいたゼリー2つを口にした。もちろん空腹が覚めることはない。

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ソン・ラの村を越えた午後3時過ぎからは、やはりインドシナ半島高地の絶景を目にすることができた。後ほど写真を載せるが、やはりこのバスで正解だった。異様な形の小さな山を通り越え、大きな山にはくねくねと、未舗装の道をガタガタ音を立てながら走る。ソン・ラ辺りからは人々の顔立ちと服装が変わり、すなわちモン族(左)の地域に入ったことが確認された。

この旅で一番恐ろしく感じたのは、このバスは高地の曲がりくねった山道のガードレールのないカーブでさえも、時速40キロほどの猛スピードで走り続けていた事である。カーブの下を見ると文字通りの絶壁である(絶景でもある)。そんなカーブを何度も曲がっているうちにこちらも少しずつ感化され、恐怖感が次第に諦めと変わっていった。結局は祈ることしかできないのである。そしてインドシナ戦争中は、こんな山道を使ってベトナム軍が大砲を輸送していたのである。

そんなことを思いながら午後5時過ぎ、目的地に到着。バスを降りた瞬間から、タクシーのおっさんら5・6名が私を囲む。それに英語で対応してツーリスト用の案内所を見つけ、そこに入る。が、案内所の女性も英語もフランス語も話さない。そう、この人口15万人ほどの町には外国語を話す人間は数えるほどである。案内人に持ってきたホテルの住所を見つけると、かろうじて方向だけは教えてくれた。ちなみにこの町の地図はネットでは見つけられなかったため、ホテルの住所のみを予め記載しておいた。

30分ほど、町行く人々にホテルへの行き方を聞いて歩いた後、ついに到着。その名は Dien Bien Phu - Ha Noi - Hotel。予約していたためチェックインはスムーズに済んだが、部屋に入るとそこは全てが基礎的なものである。それもそのはず、この町では最高級のホテルだが、2つ星なのである。値段は一泊19ドル、日本円で約1800円である。驚いたことに、前の人が使ったシャンプーと石鹸が私に与えられた。部屋を歩くと蟻も共同に生活していることに気がついた。部屋のドアにもロックがかからない。金庫もないため、パスポートは外出時に携行することになった。

このホテルで唯一英語を話すボーイにお勧めのレストランを聞き出し、町を散歩。ネットカフェを見つけ、30分ほどネットでメールをチェックして会計すると60円。その後、レストランを見つけるもあまりのひもじいインテリアに度肝を抜かれ、今夜は残りのゼリーのみの夕食を決心。腹を壊すよりも減らす方がましだという戦略的思考である。w 夜、10時前、あまりに疲れて就寝。

しかし午前1時、私の部屋が突然停電を起こす。小さな光が消え、冷房が切れた。部屋のドアが閉まらないため、停電に気づいた外部の人間の突入を警戒し始める。10分後、電気は戻り、再び就寝。

午前5時、起床。論文を少し書いて7時過ぎ、ホテルの食堂で朝食。メニューは目玉焼きひとつにコッペパン2つ。私にとっては贅沢な栄養源であった。ただし残念なことに、この時の卵か、この時飲んだコーヒー(水)でお腹をやられた。泣く

8時過ぎ、ホテル近くのディエン・ビエン・フーの軍事博物館へ。入場料は5千ドンで日本円にして30円。博物館の中は町の歴史からインドシナ紛争、そしてベトナム戦争に関する資料が満載。建物の外には破壊された仏軍の戦車や、べトミン軍が使った大砲が多くそのまま展示されている。大興奮で博物館を後にした。その後は道を挟んだ場所に位置する戦死者のための墓場を訪問。下の写真は街中にあった共産党プロパガンダ。

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その帰り道、ついにディエン・ビエン・フーの戦場へ。仏軍が一時占領したコードネーム Eliane (エリアン)の第二陣地(Eliane 2)の跡を訪問。小山を上ると目に入るのが無数の塹壕と掩蔽壕(えんぺいごう)の跡地。戦争後も大切に保存してある。大興奮の私はもちろんその塹壕に体を潜らせて地形、方向などをチェック。幾つか面白い写真も撮った。エリアンを数分かけて巡り、ホテルに戻り、少し体を休ませた。壊れた腹と格闘しながら下痢止めを飲んで昼食を諦め、今日は全て戦場めぐりに捧げる事を決意する。

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次、激戦地のひとつだった仏軍コードネームの Beatrice (ベアトリス)の戦場へ。後でわかった事だがこのコンバット・エリアは地元の人でも知らない地形にあり、実際に連れて行ってくれたタクシーの運転手も知らなかったから、私の地図を元に二人で探した。結局タクシーを降りた場所から歩くと、そこは普通の民家。その家の女性に「Doi Him Lam」(ベトナム語で「ベアトリスの丘」を意味する)と告げると、その民家の裏山を指差す。彼女の承諾を得て、その民家を横切り(マジ)、山道を探すも見つからない。そう、ベアトリスの頂上へは文字通りのジャングルを切り歩く必要があり、私はそこで簡単な決意をしなくてはならなかった。

ジャングルを通ることを決意し、山を登り始める。幸い、その民家が飼っている大きな犬2匹が私のことを追っかけ始めたため、何をされるか分からない私の足も速くなり、半袖短パンの姿で森の中へ。途中、何度も滑り落ち、切り傷を負い、虫にも刺されるも、何とか山を登ると途中には戦争で使われた塹壕を発見。そこからはほかの塹壕との合流地点を計算しながら歩き続け、汗を拭き、写真を撮りながら、ついにベアトリスの頂上に到着。あまりの苦労と感動、そして誰にもわからないこの絶景を私一人でものにしている事実で、少し涙が出そうになった。

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ベアトリスから降りる道も大変だった。文字通りのジャングルのため、そしてコンパスも携行しておらず苦労した。再び何度か滑り落ち、数十分後、先ほどの民家に到着。「犬はカンベンしてくれー」と英語で悲痛を叫びながら民家の方に犬数匹を静止して頂き、無事下山。写真はたくさん撮った。貴重だと思う。数日後にここに掲載します。

ベアトリスからの帰り道の4キロを徒歩で歩き、途中で西洋系の雑貨屋を見つけたので、そこで再びゼリーを購入。そして今度は仏軍コードネームの Dominique (ドミニク)の古戦場へ。ここはディエン・ビエン・フーの記念塔が建てられ一般観光地化されている。標高300?ほどの階段を汗を流しながら上り歩き、記念塔の周りを歩いて、その周りに位置する塹壕をチェック。あまりの暑さと疲れに少し気を失いそうになる。

ドミニクを降り、ようやくホテルへ。疲れ切った体を数分間休ませ、今度はホテル近くに位置する別の古戦場、Eliane 1Eliane 4 へ。ここでも同じように山道を登り、戦場跡を確認する。再びホテルに戻り、今回の戦場めぐりを完結させる。ここディエン・ビエン・フーにはほかにも大切な古戦場があるが(Gabrielle や Isabelle やClaudine など)、私の今回の目的は十分達成できた。とても感動的な戦場めぐりだった。そんな思いを胸に、部屋で少し論文を執筆し、午後10時前、就寝。

火曜日6時前に起床。部屋でホーチミンの書物を読書し、午前9時、朝食。お腹は治りかけだったが、この時食べた目玉焼き2個か紅茶の水で再びお腹をやられた。最高級ホテルでこれである。この町ではもうメシは食わんと決意してホテルをチェックアウト。空港へタクシーで向かう。ちなみにこの町のタクシーの初乗りは1万ドン、日本円で約60円!

空港でのチェックインはスムーズに行ったが、地元テレビ局のカメラマンにやたら執拗に追われてフィルムに収められた。私のイケメンさはやはり万国共通だったんだと自覚しながらw搭乗手続きを済ませ、空港の2階へ。12時10分の出発の30分ほど前に飛行機が入場。天気が曇り空だったのとエンジンがプロペラだったため、大揺れを覚悟。30分ほどの飛行は予想を覆す勢いで静かだった。

今夜泊まっているハノイには午後1時、到着。ディエン・ビエン・フーへのミッションはこれで完結!

今日はこんな長いエントリーを読んでくださってありがとうございます。こんな巣晴らしい経験を共有できて嬉しく思います。皆様お休みなさいませ。