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話は遡ってハンガリーの首都ブダペスト。その日はまともに観光も出来ぬまま正午発のセルビアの首都ベオグラード行きに乗り込む。時は2001年。コソボ戦争の一連でセルビアがNATOの爆撃を受けてまだ2年。ミロセビッチが大統領の職を追われてまだ1年。このヨーロッパの火薬庫は西洋諸国をまだ敵視していた。

ベオグラードの到着は午後7時ごろの予定。

列車は定刻どおりに出発。が、すぐに遅れ始めた。私にとっては不思議に思えるほどの鈍行で進み、一つ一つの駅にも数分かけて停車しては、鈍行を繰り返す。私のコンパートメントには他に、ドイツ人とアメリカ人のバックパッカーが座っていた。私は時を忘れて、数時間前に買ったマドレーヌをつまみながら、旅行中も持って来ていたミサイル防衛の論文を書いていた。ふと外を眺めると、美しい農村地帯が延々続く。イギリスで見るような牧歌的な光景が、あたかも戦争とは無縁の状態で私を迎えていた。

数時間かけてようやくハンガリーとセルビアの国境に到着。列車は止まり、スラブ諸国に多いあの類の軍服を着た完全武装の警官数名が旅券のチェックに回ってきた。私は必要とあれば同じスラブ言語であるセルビア語に対応できるよう、頭の中身をロシア語にスイッチさせた。入国審査に関しては予めビザが不必要だと理解していた私でも少し緊張する。数分かけて、パスポートは無事戻ってきた。ただ、私と一緒に座っていたドイツ人とアメリカ人の旅行客はそんなにラッキーではなかった。ビザがない事を理由に部屋から強制的に連れ出される。「No visa, you're out!」と叫ぶ警官。

敵国民への入国拒否、当然の成り行きである。可哀想な旅行客は電車から追い出され、ブダペストに戻る電車を数時間待つ事になった。

数十分後、電車は何事もなかったかのように滑り出す。セルビア北部の大都市ノヴィ・サドには夕方到着。列車が駅を出て南下すると早速大きな川にぶつかる。そこで突然列車は大きく迂回する。驚いた私をよそに、列車は新しく出来たばかりの橋を渡り始める。そう、古い橋はNATOの爆撃で木っ端微塵に破壊され、新しい橋を渡るためにわざわざ大きく迂回しなければならなかったのである。

首都には深夜到着。半分パニクりながらその晩の部屋を探すと、たまたま駅前のホテル・ベオグラードが空いていた。そこに宿を取り、体を休めた。

翌日、朝食のためにホテルの食堂へ行き、自慢のロシア語を使って朝食をシブくオーダー。周りの人は美味しそうな牛肉と卵料理を食べている。胸を躍らせて楽しみにしていると、私のロシア語がメチャクチャだったのか、オーダーしていたのはパン一個のみであった。

たったの一日しか過ごせなかったベオグラード。私が訪れた20以上の国の中でも、最も綺麗な町の一つとして心に残っている。また行きたいねー。

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イメージ:http://en.wikipedia.org/wiki/Kalemegdan