前の投稿に補足。

「先輩のアドバイス」

受験の準備をする際にはできる限り、現役の博士候補にメール等でアドバイスを伺い、相談し、戦略を求める事が大切だと思う。私も受験の際、数人の教授や先輩方に執筆中のエッセーを読んで頂いた。教授や現役生には口コミや直接の経験などを通して得た、受験に関する知識が多くあり、大学の入試状況、学部の状況、入試で準備しておく事、院生生活の現実などの側面に詳しく、それらを一般的に共有してくれる。従って受験を考える際は先輩方のウェブやブログを読み、予め研究した後に行儀よく連絡をするべきだと思う。ただし、この件は他の現役生が賛同するとは限らないなので、将来を受験を考えている方で近い方がいない場合は、お気軽に私に連絡下さい(yaponorry@hotmail.com)。可能な限りアドバイスします。

そしてここからは最後の「ABDになってから」。

「指導教授とのコミュニケーション」

この課程で大切な事は非常に多いが、私が一つ挙げるのなら、博士論文委員会の委員長である指導教官とできるだけ近くなり、小さなことでもこまめにその人に連絡し相談する習慣を作る事だと思う。指導教官には「文字通り」のアドバイザーになってもらう。その人とはできる限り信頼関係を強め、博士論文に関するあらゆる事実を知らせ、どんな事があっても後ほど「そんな事は知らなかった」との状況を避けるべきである。指導教授のサポートは卒業のために最も重要な要素の一つで、指導教授の合意がなければ、どんなに成績が良かろうが、どんなに優れた研究をしようが、博士論文がいかに優れていようが「ディフェンス」はできない。ディフェンスの後、指導教授のサインがなければ、仮に博士論文が終わっていようが卒業はできない。逆に教授のサポートがあれば、執筆の段階で様々な機会が与えられる確率が高まる。

「論文を終わらせる決意」

博士論文の質は重要である。質に劣る研究は執筆の段階で様々な形で教授陣からのダメ出しを受け、卒業を困難にする。ただそれよりも重要な要素があるのなら、それはなんとしてでも論文を終わらせようとする決意、そしてそれを教授陣にしっかりと証明し続ける事であろう。必ず卒業するんだという強い意志を持ち、そのために必死の努力を続け、それを常に論文委員会のメンバーに伝え続けるという事である。我々の仕事を評価する教授陣も機械ではなく人間である。もちろん博士論文は自分の最高の力を出し、これ以上の努力の余地のない状態で終わらせるべきだが、仮に研究の質が理想とは離れていても、どんな教授でも一般的に、人情や同情や理解などという、研究以外の暖かい人間的な面を持ち合わせている。この「決意」に関する点は非常に単純で基本的な事なのだが、基本的であればある程、重要である。

「定期的な連絡網の形成」

卒業のためには同時に、指導教官以外の博士論文委員会のメンバーもサイン・オフをしなくてはならないため、彼らとの関係も重要である。私の経験で重要だと思ったのが、そしてメンバーの一人が気に入っていたのが、私がこまめにしていたある一つの事である。それは委員会のメンバー全員に対して、少なくとも月に一度は一斉メールをし、その間に起きた研究の進歩を細かく連絡していた事。その種のメールは特に読み手からの返事を求めるものではないため、必ずしも毎回反応があるわけではない。ただ教授は実はそれをしっかり読んでいて、生徒の評価の一部に取り入れる。定期的な連絡網の形成はいくつか肯定的な効果があり、例えば(1)自分の存在を毎回ソフトに思い出させる、(2)研究に関する最新情報を与えることによって推薦状を書かせやすくする、(3)自分に義務化する事で研究と執筆を促進する、などがある。

「論文以外の仕事の誘惑」

博士論文執筆の期間は、外部の研究やセミナー、学会論文や出版の機会など、博士論文以外の仕事などの誘惑が増える時期である。私もスワモスやランドでの研究など素晴らしい経験ができたが、それらはあくまで例外的なものである。基本的には博士論文の研究と執筆のみに専念し、無関係な外部の誘惑をしっかり拒絶する勇気を持ち合わすべきである。また、外部の機会を受け入れる際は必ず指導教官に状況を詳しく話し、なぜその機会が自分の研究のために必要か納得させ、その教授の同意をもらった後にする。受け入れても構わない外部の機会で含まれるのは、(1)博士論文の研究を発表しフィードバックを得る学会、(2)論文の研究を促進する、外部の大学が主催する時期的なトレーニングやセミナーへの参加、(3)就職活動を促すための、博士論文から派生した論文の出版などがある。もちろん毎年開催されるアメリカ政治学会などの機会には発表者としてできるだけ早い時期から、積極的に参加して外部のネットワークを形成する。

「就職活動と博士論文」

私の経験は限られているが、最後のアドバイスは就職活動について。一般的な理解では、この時点で重要なのは必ずしも論文を終わらせる事ではなく、論文がその年に終わるだろうと委員会を充分納得させ就職活動の後押しをしてもらい、実際に仕事に当て付く事である。なぜなら就職さえできればほぼ自動的にディフェンスの日程は決まるし、逆に仕事がない場合は留年を余儀なくされる(場合がある)。仕事がない場合、留年をする事により大学に席を残し、図書館(つまり研究資料)へのアクセスを維持し、博士号はあろうが仕事がないという「最悪」の事態から逃れることができる。この理由により、もう長い間論文を書いているが未だに卒業しない博士候補は多い。

この点に関して私は逆の立場を取る。つまり、我々がするべき事は就職状況構わずに論文を終わらせ、卒業に向けて努力を続けるべきである。確かに仕事がない場合の卒業は想像するだけでも恐ろしい。ただ、同時に多くの事も起こり得る。まず、教授陣が大学機構に働きかけ、何らかの形のポストを用意する可能性。第二に、ポスドクに合格する可能性。第三に、博士号を授与するという名誉に注目し、就職は先延ばしにして現時点での卒業に幸福感を感じ、来年に望みをつなぐ可能性(博士課程の苦労を真剣に考慮すれば否定できない考え方)。そして第四に、就職と論文の進歩の程度には相関関係がある事。いくつかの大学は、その生徒の卒業が確実である事を前提(既にディフェンスの日程が決まっている事)にコンタクトをする。つまり、生徒としては、競争厳しいジョブ・マーケットで、その年に確実に卒業する、そして教授陣もそれを認めていると宣言し、もう後戻りはできない状況を作ることにより、卒業の保証を就職先にシグナルする。そうする事により相手を安心させ、生徒をより肯定的に考える事ができる。

もちろん、日本人を含む多くの留学生にとっては、この方法は大きなギャンブルである。つまり、卒業するに当たって現行の移民ステータス(F1)の変化を強要されるため、就職先からの新しいスポンサーシップがない限り、一定期間の経過の後、不法滞在してしまう可能性がある。OPTにより最長1年は保証されるが、その場合は就職先が決まるまでの日本への一時帰国はそれが永久的になってしまう危険性もはらみ、留学生に取っては魅力に欠ける選択肢である。最終的にはこの点についてはその生徒の判断の問題である。ただ逆に、長々と卒業を延ばし続ける事により派生する幾つかの危険も考慮するべきである。留年をしている間、指導教授の注目は他の生徒(後輩含む)に流れ、留年中の生徒の重要性は比較的低下し、人間関係や経済的な側面にも影響を与える。特に出版もないまま、そして特に外部からの奨学金もないまま卒業を先送りにする事によりマーケットには否定的なシグナルを送る事にもなる。一方で一定の危険を冒してでも早く博士号を取ることにより、より多くの研究機会が与えられるし、OPTの1年の間にも仕事の話が回ってくる。異論はあるし状況にも寄るだろうが、私は一般的に後者の立場を取る。