写真午前10時前、中国の金融政策について授業をしていた最中だった。大学内に一斉放送が流れ、雪が降り始め、街中の高速道路が部分的に閉鎖され始めたので、すぐに帰宅せよとのメッセージが入った。まだ終わる予定ではなかったゼミを一言二言でまとめ上げ、次の授業の予告を簡単に済ませる。ゼミの外に出ると生徒と教員が慌ただしく帰る準備をしていた。私も必要最小限の整理をし、持ってきていた弁当を食べずにわきに抱え、車に乗り込んだ。

後でわかったことだが、その時には既に遅し。車の渋滞は基地の中にも入り込み、私も巻き込まれてしまった。普段は10秒ほどで着く、100メートル先の空軍指揮幕僚大学の前に進むだけでも30分かかり、その時点で車の動きは完全に止まってしまった。車内から携帯で家族と10分ほど話し、諦めて一度オフィスに戻り渋滞が終わってからの帰宅を決め込んだ。後で聞くと、あのまま渋滞の中待っていたら、基地を出るまでに2時間かかったようである。

写真オフィスに戻ると同僚数名が似たような状況にあり、話を聞くと、大学内で数時間待ってから帰宅を試みる、ということであった。これは長丁場になるだろうと覚悟を決めながら、グーグルで地元地域の渋滞情報を調べ、空いているルートを細かく調べ始めた。

普段使っている高速道路は閉まっているということである。なので大忙しで帰宅を急ぐ町全体の職員がほぼ同時に高速道路を迂回し、少し細い道に一斉に入ったため、町中では大混雑が起きていた。なぜこのようなことが起きるのか。この時点ではまだ積雪の段階ではないのだが、この地域では雪が降るということ自体が極めて珍しいことなので、地域の住民の混乱と事故を防ぐため(とは言っても多発していたこと間違いない)、行政はこのように一見大袈裟に対処するのである。混乱を防ぐための処置が実は、大混乱を起こすのである。

昼ご飯をオフィスで食べると、同僚のノーニハルと帰り道を協議。FBでもほかの同僚と情報を交換し、どのルートを避けるべきか考えた。そんなことをしながら帰り道のルートを決めると、地図をプリントし、ルートにペンで直接色を塗って、GPSの無い車内でも家に帰れる状態を作った。

その後はルートの通り、結構な遠回りをしたが、渋滞には一度も入ることもなく、最高速度は40マイルに抑え、普段は20分ほどの通勤をゆっくり進み、1時間ほどで無事帰宅。

写真家に戻り少し落ち着くと、家の外に出て数年ぶりの雪を記念撮影。一番上の写真の車の後ろには、手跡が見えるだろうか。1センチほどしか積もらなかったので、遊べるのもこれくらいである。二枚目のはここでは珍しい「つらら」の一枚。そして最後のは自宅前の景色。

ここに赴任してからは初めての雪であった。良い記念になった。

明日は午前中は基地は閉まり、仕事は午後から再開となる。