Political Science Quarterly の最新号に掲載されている面白い論文から、ビン・ラディン殺害に関して幾つか新しい情報を得た。年末に読了した No Easy Day などの既存の情報と重なる部分もある一方、今回初めて知ったことも幾つかあるのでここに記したい。

1.ビン・ラディン探索に関してはその大部分がまだ公になっていない可能性が高い。

2.ビン・ラディン殺害作戦が行われた夜には、他に11にのぼる数の夜襲が別の場所で行われていた。

3.探索中は、西洋のスーツを着て髭を切った状態のビン・ラディンのイメージを作り、それを様々な場所に配った。

4.アルカイダの指揮官たちは、必ずしもビン・ラディンの居場所を知ってはいなかったが、ビン・ラディン本人からは通達を得ることができる状態にあった。

5.元々はロシア・バルカン半島の分析官であった「ジョン」という男性が、ビン・ラディン探索の中心人物の一人であった。映画「ゼロ・ダーク・サーティ」に出てくる女性の分析官はジョンの部下である可能性が高い。

6.アボタバードのビン・ラディン宅と同じ道路にある家を、中央情報局から雇われたパキスタンのエージェントが借り、そこを秘密の情報収集場所としていた。

7.ビン・ラディン宅に同居していた密使(この場合は「ペイサー」と呼ばれていた)は、携帯電話をかける際は家から車で1時間半ほどの離れた場所に移動してから、携帯のバッテリーをそこで初めて入れて電話をかけていた。後者の理由は、バッテリーの入ったままの携帯は遠隔操作により盗聴器として機能することができるため。

8.ビン・ラディン宅の近くには水路があり、トンネルを掘って夜襲を仕掛けることは不可能であった。しかし同時に、ビン・ラディン宅には逃走用のトンネルがないであろうということも推測できた。

9.ビン・ラディン殺害の数日前に、ニューヨークタイムズ紙がその紙面でアボタバードという場所を名指しして、アメリカがそこに興味を持っているというウィキリークスの情報を報じていた。

10.ビン・ラディンを殺害したのはご存知の通り海軍の特殊作戦部隊だが、殺害作戦自体は公式には中央情報局により完遂され、軍事作戦ではない。

11.アボタバードのビン・ラディン宅に、最終的にビン・ラディンが本当に住んでいたという確証は、作戦が始まる前は存在していなかった。

12.2009年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教員と学生たちがチームを組み、ビン・ラディンがどこに住んでいるかという調査をした。結論は Parachinar という場所で結果としては間違っていたが、諜報分析官にとっては印象的な調査であったようだ。