今週のエコノミストは面白かった。特に興味を引いたのが、変わりつつある世界の大学教育についての記事である。

伝統的な教室、専攻、学部、そして教授陣を排除し、問題解決やグループ討議に焦点を置く新しいタイプの大学モデルが徐々に拡散しているようだ。授業では教授による講義の変わりにネット技術を教材として用い、学生が学ぶ環境を作る。この種の教育方法はイギリス、韓国、シンガポールなどに広がっているという。アメリカでも見ることができ、マサチューセッツ工科大の教授が辞職し、これをモデルにした新しい大学を近く開設するという。

面白い試みだと思う。私は基本的に最新技術をフルに用いた教育方法には賛成である。もちろん、技術のみに頼らず、授業の最初から最後まではあくまで教授本人が責任を持ち、本人の能力と努力で授業を行うが、技術の補助的な役割は今後おおいに生かすべきだと思っている。

政治学や国際関係学の授業では理論や概念の習得と応用、分析モデルの理解、世界政治の実際問題の理解など、特に最新技術を必要としない場合がある。従って学生数が多い場合は講義、少ない場合は colloquium が中心になる。私は一般的に後者のタイプを好むため、履行する学生の数は最小限に留めている。そんな中でも、授業の最中にネットから関連ビデオを引き出し学生に見せることも多々ある。

大学教育に関わる人間にとって大切な点は、上記の「教授陣を排除」しかねない点があるだろう。いわゆる技術革新が人間の労働力に取って代わる現象のことである。結果として教授職も減る。それに伴い政治学の研究も後退し、結果として国力の減退につながる。このような将来は喜ばしいものではない。

同じエコノミストにある別の記事で、近い将来どの職業が機械に取って代わられる可能性が高いかを、データを用いて論じている。そこに記されているのは、上位から、「テレマーケティング」、「会計士」、「営業」などが挙げられている。上位にはなかったが、「俳優」や「消防士」が挙げられているのは妙に納得した。

そのうちこのリストに大学教授も加えられることになるのだろうか? アメリカでは私はそうは思わない。あくまで伝統的な授業スタイルを好む家庭がアメリカでは今後も多く残るだろうと思っているからである。しかし少子化の進む日本ではどうだろうか? 失礼なのを承知で書かせて頂くが、大講堂で大勢の学生を相手に、議論もさせず、ロボットでもできるような一方通行の授業が続く社会ではこの新しいモデルがフィットするのではないかと、少し思ってしまう。