Politologue Sans Frontieres 「国境なき政治学者」

ペンシルベニア大学政治学部博士課程を卒業し、アメリカ空軍戦争大学で教鞭を取った後、アメリカ中西部のセントルイス大学の政治学部で教えています。国際関係学、安全保障、東アジアの政治学を担当しています。ここ数年は日本の軍事力と文明間の紛争の研究を進めています。 このブログでの意見と表現はあくまで著者個人のものであり、必ずしも関係機関の政策を反映するものではございません。

教育・TA・学部

アメリカ政治学会発表への提案書を提出

今夏ボストンで開かれる予定のアメリカ政治学会年次会のための提案書を2つ、提出した。今回は両方とも日本の安全保障に関する論文で、結構進んでいる作品であるため提案書を書くのも比較的楽だった。あとは良い結果を待つのみである。

ボストンを最後に訪れたのはなんと2008年だった。当時の記録を読んでみると物凄く忙しいスケジュールで動いている。今回もし再訪できることになったらゆっくり時間を使いたい。

査読の依頼

久しぶりに、国際関係学のある専門誌から査読の依頼が来た。授業が始まるまで10日以上あることもあり、承諾した。

皮肉なことにも、数ヶ月前に私が提出した論文を弾いた専門誌だが、こうして仕事を任せられるのはある意味名誉なことでもある。しっかり読んで公正に評価をし、感想をお伝えしようと思う。

今学期の授業が終了

今学期の授業が終わった。今秋は週一のスケジュールで14週こなし、アメリカ外交政策を学生15名にゼミ形式で教えた。手ごたえはある。元々優秀な生徒の能力を更に伸ばすことができたと確信している。

期末の提出物は15ページほどの研究論文で、今週はそれを採点してから最終的な成績をつける。それが終われば冬休み。一ヶ月以上大学に行く必要はないので職場に送られてくる郵便物や手紙は読むことができない。

学部の採用試験を終え考えること

日曜日、私の学部のアメリカ政治の分野で今年採用した候補から電話ががあり、数十分のあいだ話した。その人は学部の状況や、契約に関する交渉の仕方などに関して幾つか質問がしたかったようである。質問に答えると喜んでいた。良い結果がその人にとっても、私の学部にとっても出れば幸せである。

私が就職活動をしたときはその相手先にはこの種の質問を信頼してできるような人はいなかった。なので少しでも助けになれて良かったと思っている。

思えば、アメリカ留学を目指していた数十年前も、留学の方法に関してアドバイスしてくれる人はいなかった。留学先をどう選ぶのか、願書はどう入手し、いつ提出するのか、ビザとは何か、それをどう取得するのか、など基本的なことは自分で調べなくてはならなかった。家族はしっかり心のサポートをしてくれたが、私の行っていた高校は日本国内の大学進学がメインであったため、海外を目指していた自分の進路は自分で決めた。

当時は東京の神田あたりに留学センターのようなものがあった。私と同世代で、東京の学校に通いながらアメリカ留学を目指していた方なら恐らく覚えていらっしゃるだろう。当時高校三年生だった私は放課後に一人で何度もそこを訪問した。アメリカの大学全ての情報が英語で書かれている分厚い本をあけ、何時間もかけてそれを読み、一つ一つ大学を調べ、その中から少しずつ選び、願書を郵便で取り寄せたのを覚えている。

今となってはネットがあり留学調査も便利になったが、当時の私にはそのような手段しかなかった。新宿に留学をサポートしてくれる会社があり、一度訪問し話を聞いたが、結局はビジネスで、別途数十万円がかかると聞いて諦め、自分で探すことを決意したのをよく覚えている。

そもそも、このブログを立ち上げたのは、そのスピリットに似たところがある。アメリカの政治学会に挑戦し、成功を収めたい人のためのブログである。今後も何らかの形で同胞の日本人にはアメリカの政治学で成功して欲しい。

在シカゴ総領事がセントルイス大学を訪問す

月曜日の授業ではシカゴの日本総領事館から伊藤総領事をお招きし、日米関係の講演をして頂いた。私や学部、そして学生にとってはとても名誉なことで嬉しかった。

講演の前には予め用意しておいた日本のチョコレートや煎餅を生徒たちに配布し、日本の文化的側面の理解を促した。チョコレートはもちろん、煎餅を気に入っている生徒もいたので良かった。

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日本の外交政策における重要事項を説明する総領事。一つ一つしっかり説明して頂いた。生徒も頷きながらノートを取っていた。

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今月下旬の日米サミットを含めた、日米首脳の会談について語る総領事。

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質疑応答の後、生徒たちと記念撮影。今回はミズーリ州の日本名誉総領事(写真最右)とも挨拶をすることができて良かった。

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