ありえん英語・日本語シリーズ
GSQに提出された論文を査読をしていて初見の英単語があった。何だこれは、英語じゃない言葉か、と思った。scilicet という。調べてみると「すなわち」や「言い換えると」を意味するようだ。
英語を勉強して30年以上、アメリカ住んでウン十年、GREの勉強もあれほど頑張ってこの英単語。学ぶべきことはまだ沢山あるようだ。
ここ最近日本語で見るようになった「パーパス」というカタカナ単語だが、その使い方、背景、必要性には十分注意する必要があると思う。
普通に会社の目的について述べたいのならこの言葉を使う必要はない。海外から見たら英語の異様な使い方だ。カタカナを出せば良いという問題でもない。日本語・英語の教育に肯定的な意味を持つとも思えない。
また、記事にある日本語を輸出し海外で人気化させる現象だが、これもどの言葉を正しく輸出するような注意が必要だ。それでなくてもここ数年、変な使い方をされている日本語を目にする。例えばレストラン業界で言えば、hibachi という言葉は多くの和風レストランで乱用されているし、umami という言葉も本来の意味で使われているのか疑問に思うことが多々ある。
ロンドン西部のウエストフィールド・モールを歩いていて目にした、シャレの聞いた店名。ベイカーストリートではなくケイカーストリートとのこと。おもろい。
一瞬、チャールズ王のネタだと思って撮った。後程よく見てみると、それほど似ていないので本人ではないかも。
空軍にいたある時、私のオフィスの隣は陸軍大佐Aのオフィスだった。その彼を別の陸軍大佐Bが訪れ、ハンティングの話をしているのが聞こえてきた。二人ともボスニアやイラクなどで危険に任務を全うした歩兵猛者で、Aのオフィスの壁には鹿の頭蓋骨が無数に飾られている。
A:「よう、こんど鹿撃ちに行かないか?」
B:「いや、俺は動物は撃たんのよ。」
Bの言おうとしていることがわかるだろうかw。
ちなみに、米軍幹部のオフィスには米軍さながらの飾り物が結構ある。中には使用済みバズーカを飾っている人や、中をくりぬいた魚雷を傘立てとして使っている元海軍もいた。
現在の私のオフィスにも当時の仕事で得たものが幾つかある。アフガニスタンでの絨毯や、ナイジェリアの飾りなど。もちろん、航空自衛隊や米空軍からの贈り物も大切に保管してある。
英語教育とその姿勢により多くの資源を投資する必要を考えるにあたり、大切な記事。
小さな点だがもちろん、クールジャパンと厚生労働省の英語表記に関しては部署が違うため予算体系も異なり、同じレベルの英語表記を求めることはできない。
が、カップ氏の言うことにはほぼ同感だ。特に、これは個人的なものではなくプロセスの問題である点。更に、
「日本の企業などの弱点は、本来専門家がすべきことを、アマチュアの人がしていることです。」
と、
「日本では、我慢を美徳とする文化があると思います。文句を言うのは「良くないこと」だと。でもそれでは改善もありません。」
これらの部分を読むと、最近民間でも強調され始めてきた「人材投資」の重要性が浮かび上がる。これからの人たちに教育やトレーニング、休暇、待遇、海外出張、海外派遣などの面で企業全体で投資をし、新しい情報ややり方を取り入れ、多くの専門家を育てていかないと、日本の国際競争力の低下に一層、歯止めがかからなくなる。
「英語脳」なる言葉は初耳だが、この記事の要点には賛同する。
著者の言う「ひとりごと学習」は私にとっても、とても大切な練習方法だった。このブログに何度も書いたが、アメリカに来て一番最初に取り入れた練習方法は朝のシャワー15分の間だけは必ず英語のみで考え、独り言を言う、というものだった。それを少なくとも数か月続けた。
著者は僅か5か月で英会話の「習得」に成功したとバイオに書かれているが、私の場合、政治学の業界で使われる専門英語を含め、アメリカでの英語を99%理解するのにアメリカ生活15年を要した。「習得」や「成功」をどう定義するかで意味は異なるが、どんなに独り言学習をしたとしても、ほとんどの人の場合、相当の時間が必要になるだろう、ということは言いたい。
一方で、記事3ページ目の最後の段落で書かれているが、独り言学習の際、人前でも躊躇せず堂々と練習するべきである。それくらいの強い気持ちで練習しない限り、海外に出た時に相手の目を見て英語を使うことはできないし、そもそも独り言学習でさえも長続きしないだろう。
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