ありえん英語・日本語シリーズ
私がアメリカに住み始めて数十年が経つ。ここまで来ると私の「先輩」にあたる方を新しく見つけることが稀になってきた。会う場合は決まってアメリカ人と結婚し移住した人だ。
私の始まりは成田からデトロイト空港へのフライトで、入国審査を済ませてからニューヨークのバッファローに飛んでそこで一年過ごした。当時のことは今でもよく覚えている。バッファローで最初の食事はバーガーキングで、ワッパーをそう呼べずフッパーと発音し、最初のオーダーに苦労した。
当時のアメリカには日本人留学生が多い時で、私が通った英語学校や大学にも留学生の中でも日本人の割合が高かった。そこで一緒に学んだ日本人は聞く限りほぼ全員日本に帰国した。
アメリカ一年目はとにかく英語取得に励み、バスケを通して多くのアメリカ人と交流した。当時できた親友とは今でも仲が良い。毎週のようにクラブやカジノに通った時もあったし、普通のアメリカ人の学生のような寮生活を送った。
当時は今のようにメールやFBが流通しておらず、ほとんどの友人とは連絡が途絶えてしまった。名前もファーストネームしか知らないので調べようがない。
授業はフランス語とスペイン語を頑張った。これらの授業は午前8時に始まる場合が多く、毎日早起きして授業に出た。その後は一時間、ネイティブスピーカーの先生と英語の発音の訓練を数か月こなした。この訓練はとても役立った。授業の後は友人とバスケや買い物に出かけていた。
感謝祭は初めてNYCを訪れブルックリンのチャイナタウンで過ごした。冬休みは友人を訪ね、ピッツバーグ、ワシントン、ニューヨークを訪れた。大晦日はタイムズスクエアのカウントダウンに参加し、リアルを味わった。その晩は地下鉄に乗ってアッパーウェストにあるユースホステルに戻ったのを覚えている。その冬はまた、ブルックリン出身の親友と繰り出し、徹夜でクラブで踊っていたのを覚えている。今だったら恐ろしくてできないw。
同時に、別の大学への編入も模索していた。結果が決まり南部の大学に移ることになり、そこで多くの友人とは交流が途絶えた。バッファロー最後の晩はグレイハウンドのバス停まで友人が見送りに来てくれ嬉しかった。
英単語のカタカナへの無理やり変換は日本の英語教育の大きな問題で、日本人の英語力が伸びない理由の一つだと思っている。多少の発音の差は理解できるが、限度もある。ひどい例としてこれを見つけた。
woven をどう発音するかだが、さすがにウーブンはないだろう。最初「ウーブン・シティ」と見たとき、どの英単語からカタカナに変換したのか分からないほどだ。トヨタ勤務のネイティブ・スピーカーらは意義を唱えるべきだ。海外に売り込む際、ウーブンと発音していたらまず通用しない。これで確認を。
アメリカ人との挨拶のときに知っておくととても助かるグラフがあった。かなり現実に近いもので是非参考にすべきである。
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